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2025年12月29日(月) 23時28分 bysoo_cyan

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名前
編集前
良覚寺
編集後
良覺寺
ふりがな
編集後
りょうかくじ
通称
ご由緒
編集後
浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)聖人(1173~1262)は、承元元(1206)年、朝廷の念仏弾圧のため流罪に処せられました。流刑地・越後に行かれる途中、親鸞聖人は矢橋浜に流着されます。その時矢橋浜土着の民衆は、親鸞聖人の教えに出遇い念仏門に帰依しました。
 中世の矢橋村には、度重なる戦乱から自らの地域を守るために野武士が生まれ、野武士城があったと考えられます。親鸞聖人の教えを拠り所とし野武士城を守っていた一族(桓武平氏の一門と伝えられる)が、聖人逗留の地を巡化されていた本願寺第八代・蓮如(れんにょ) 上人(1415~1499)の教えを受け、武門を捨て仏門に帰し念仏道場を開いた。それが良覚寺の原形であると歴代住職より伝説されています。
 延宝五(一六七七)年、阿弥陀如来木像を下付され寺号公称を許可され、天和二(1682)年に宗祖・親鸞聖人絵像、元禄二(一六八九)年に蓮如上人絵像、宝暦六(1756)年に聖徳太子絵像ならびに三国七高僧絵像を下付されています。
 近世の寺壇制度確立で、<念仏道場と門徒(もんと)>という関係から<寺と檀家>という関係に変わっていってしまったのです。その中で「自分たちが浄土真宗という教えを選んだんだ」という自覚も希薄になってしまったことでしょう。
 現在の本堂が建立されたのは文政五(1822)年です。
  明治初期、廃仏毀釈の中で十二代惠照師を中心とする門徒一同「終生マデ真宗ノ信者タル」ことを誓ったと言われます。
 十五代惠燈師は第二次大戦によってニューギニアで戦死。この大戦によって仏法興隆に使われるべき梵鐘や仏具が聖戦の名のもと没収され、人殺しの道具となったことは悲しむべきことです。十六代覺證師は市民運動を自らの課題とし、終生念仏に生きられたことは周知のことでしょう。〝伝説の人〟覺證師については、いつか別項を設ける予定です。(現在の願證で十七代)
 山門は昭和九(1934)年の第一次室戸台風、梵鐘は昭和三六(1961)年の第二次室戸台風で倒壊。二年後に修復されました。昭和五四(1979)年、本堂修復に着工。昭和五六(1981)年、に修復を終え落成慶讃法要を勤修。平成十三(2001)年には、鐘楼堂と山門の修復を行いました。
 歴代住職坊守・有縁門徒の仏法興隆、念仏相続への深い願いが、幾多の苦難を超え、念仏道場としての良覚寺に今も法燈を伝統しているのです。
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