さくなどじんじゃ
佐久奈度神社の編集履歴
ご由緒
佐久奈度神社は天智天皇御宇8年 勅願により中臣朝臣金連が当地において、祓 を創し祓戸大神四柱を奉祀した。当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として 著名で、大七瀬の祓所のひとつである。
文徳実録に「仁寿元年六月甲寅、詔以近江国散久難度神列於明神」とあって、仁寿元年名神に列した。
三代実録には「貞観元年正月二十七日奉授近江国佐久奈度神 従五位上」と見えて、貞観元年に従五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳では名 神大社に列するなど当地方の名社であった。
以来朝野の崇敬厚く後白河上皇は社領を加え寄進されたことが社記にみえ、豊臣家臣渡辺勘左衛門、膳所藩主本多康俊、石川忠総などからも社領が寄進されている。
又、「忠臣蔵」で有名な大石良雄の曽祖父良勝が武運長久を祈って奉納した絵馬 が残っている。大石家は当地の出であり、良勝は赤穂浅野家にはじめて仕えた人で ある。
現境内地は昭和39年に下流の天ヶ瀬ダム建設に伴い旧境内地が水没地となり移転したものである。
明治9年村社、大正10年県社に加列。
編集前:佐久奈度神社は天智天皇御宇8年 勅願により中臣朝臣金連が当地において、祓 を創し祓戸大神四柱を奉祀した。当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として 著名で、大七瀬の祓所のひとつである。
文徳実録に「仁寿元年六月甲寅、詔以近江国散久難度神列於明神」とあって、仁寿元年名神に列した。
三代実録には「貞観元年正月二十七日奉授近江国佐久奈度神 従五位上」と見えて、貞観元年に従五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳では名 神大社に列するなど当地方の名社であった。
以来朝野の崇敬厚く後白河上皇は社領を加え寄進されたことが社記にみえ、豊臣家臣渡辺勘左衛門、膳所藩主本多康俊、石川忠総などからも社領が寄進されている。
又、「忠臣蔵」で有名な大石良雄の曽祖父良勝が武運長久を祈って奉納した絵馬 が残っている。大石家は当地の出であり、良勝は赤穂浅野家にはじめて仕えた人で ある。
現境内地は昭和39年に下流の天ヶ瀬ダム建設に伴い旧境内地が水没地となり移転したものである。
明治9年村社、大正10年県社に加列。
ご祭神/ご本尊
《主》瀬織津姫命,速秋津姫命,気吹戸主命,速佐須良姫命《合》大山咋神
編集前:《主》瀬織津姫命,速秋津姫命,気吹戸主命,速佐須良姫命《合》大山咋神
sakunadojinja
行事
4月16日(例祭)
7月31日(御手洗祭)
編集前:4月16日(例祭)
7月31日(御手洗祭)