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2025年12月16日(火) 00時03分 bysoo_cyan
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藩主本多俊次の長男康長の法名法性院をとって寺号とした寺で、法華宗陣門流で、遵義堂の初代頭取(校長)赤埴重助をはじめ赤埴家の墓、刀剣研師藤井真次郎などの墓があります。。京極高次が大津城に安置していた四天王を、初代城主戸田一西が膳所城天守閣に移し、本多康慶が霊夢により正徳(1711.4.25~1716.6.22)三年四月当寺にお堂を建て移したものであります。木造の高さ八寸五分、聖徳太子の開眼で秦野河勝の作と云う。