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2025年08月22日(金) 22時45分 bysoo_cyan
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げんくうじ
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源空寺の開山舜昌(しゅんじょう)法印は近江志賀の橘氏出身で11才にて出家、比叡山東塔功徳院に住し法印に叙せられる。のち深く法然上人の芳躅を慕い、遂に浄土の法門に帰し知恩院第八世如一国師に師事する。法印は文才に秀でまた史才あり、後伏見上皇の勅命を奉じて、法然上人行状絵図四十八巻(勅修御伝)を撰述され、正伝惣修の功により知恩院第九世を嗣がれた。 特に舜昌法印は元祖大師が吉水より鹿ヶ谷・水車谷経由(三井寺道)にて坂本へ通われし途中、この地でしばしば御休息のため腰かけられたという大石があり、祖徳顕彰のため一宇を建立し源空寺と号せられた。 後年衰微し石のみ残ったが、徳川中期宝暦年間の霊沢撰「御遺跡巡拝案内記」によると、「叡山へ女人の参り難き故、比所を女人堂に建立し、ここより山中越に大原へ巡拝いたせたし」と書かれ、黒谷青龍寺への女人の遙拝所として切望されている事がうかがえる。 郷土史によると、錦織とは渡来人秦氏一族が養蚕や織物の技術をもって、飛鳥時代頃から美作錦織郷(岡山県)一帯に勢力をなし、そこから各地へ技術と共に分散し当所にも移り住んだと思われ、法然上人母君一族の縁で上人が叡山に登られるにあたり、何らかの庇護を得たとも推測される。 現在の本堂(写真左上)は昭和58年に再建されたが、本尊円光大師法然上人尊像はご愛好が凛しく往時の隆盛がしのばれる。堂前には山田良定師作法然上人像や上人腰掛石が安置されている。
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浄土山
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照圓院
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元亨年間(1321~1324) 中興:天明元年(1781)
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開基:舜昌法印 中興:智成上人
