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2025年08月20日(水) 18時01分 bysoo_cyan
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太古の頃、伊弉諾尊がこの地に降りられ長等山の地主神となられました。 この神は常に三つの腰帯をつけておられ、その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひくのに似ていたので三尾明神と名づけられました。 ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、その中で赤尾神が本神とされ、三井寺山中琴緒谷(ことおだに)に出現。それが卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方角より現れたため、当社の使いとして瑞祥の神獣である兎が選ばれたと伝えられいます。 白尾神は文武天皇の大宝年中に、黒尾神は称徳天皇の神護景雲3(769)年3月14日(第二の卯の日)の出現とされています。
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太古の頃、伊弉諾尊がこの地に降りられ長等山の地主神となられました。 この神は常に三つの腰帯をつけておられ、その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひくのに似ていたので三尾明神と名づけられました。 ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、その中で赤尾神が本神とされ、三井寺山中琴緒谷(ことおだに)に出現。それが卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方角より現れたため、当社の使いとして瑞祥の神獣である兎が選ばれたと伝えられいます。 白尾神は文武天皇の大宝年中に、黒尾神は称徳天皇の神護景雲3(769)年3月14日(第二の卯の日)の出現とされています。 社殿に関しては貞観元年(859)の春、園城寺の開祖である智証大師円珍が琴緒谷に復興した後、室町時代応永三十三年足利将軍が現存の本社を再興したものである。慶長四年には太閤秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられた。本社が上の三尾(琴尾谷)より現在地に移ったのは明治九年五月十二日のことであり、明治十四年に郷社に加列された。明治二十二年には内務省より古社保存資金を下賜され、明治四十三年に県社に昇格している。 また「寺門伝記」補録に、三尾明神と長谷寺縁起との関連も記されている。その部分を引用すると、「近江国高島郡に神有り、三尾明神と号す。名神官社なり。その所を名付けて三尾が崎という。養老年間に道明、徳道の二僧あり。始めて長谷寺の観音像をつくる。その像材は近江国高島郡三尾が崎より流出す。漂ふて大津の浜に至る時、材木の上に三つの小蛇ありしが忽然とはい出て陸に上り西の山を望んでいる。これ即ち三尾明神なり」。とある。この故事により、毎年一月わらで蛇形をつくり悪疫退散を祈る蛇打ちの神事がある。 七月二十二日、二十三日に境内社日御前神社で朝瓜祭が斎行される。
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5月2日 例祭
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1月1日 元旦祭 1月第一日曜 蛇打ち 1月15日 御札焼き 2月3日 節分祭 2月21日 初午祭 5月2日 古例大祭 5月3日 渡御 6月30日 水無月祓 7月22、23日 朝瓜祭 11月15日 七五三祭 11月23日 新嘗祭 12月31日 大祓
