がんしょうじ|曹洞宗|瑞雲山
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岩松寺の編集履歴
2022年03月01日 19時59分
ふりがな
がんしょうじ
ご由緒
曹洞宗の寺院、上州太田の金龍寺の末で瑞雲山と号する。岩松寺四世泉光和尚の『中岩瀬天神宮縁起』によると、天文13年(1544)の春、羽生城主木戸伊豆守忠朝によって建立されたとある。
また、境内に存する『当山開創縁起』碑には、開基は小田原城主北条氏康の軍将である柴山縫殿介で、法名を岩松院春桂居士といい、元和3年(1617)2月13日に没した。開山は、金山金龍寺第6世住職の叡州玄珠であるとあるとし、次のような文が追記されている。
西岩瀬に禅僧がいた。僧は晩年の出家であったが上野国金龍寺の住職にまで上り詰めていた。その僧と親しかった縫殿之介は僧を招き岩瀬に寺院を寄付して、岩松寺と号した。縫殿之介に一人の子供がいた。徳川入封後、幼年の折、岩松寺に隠し、成人後、柴山新次郎重吉と名乗った。その後、羽生代官大河内金兵衛に許されたので、岩松寺の法具を整えるとともに、その僧・信嶺を招き、父の法要を行った。新次郎は、信嶺を開山にと願ったが、固辞されたので、金龍寺6世玄州禅師を勧請し開山とするとともに、父縫殿之介に岩松院を贈号して開基とした。信嶺は岩松寺の2世住職となったと記されている。
ご祭神/ご本尊
釈迦牟尼仏
アクセス
東武伊勢崎線「羽生」駅西口から徒歩20分
駐車場
あり
御朱印
あり
トイレ
あり
創始者/開山・開基
【開山】玄珠禅師 【開基】柴山縫殿之助(春桂)
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