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2022年02月01日(火) 17時07分 bykeokeo˚✧₊⁎

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しょうがくいん
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ご由緒
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至徳年間(1384~1387)に羽生へ移ってきた阿宥上人によって開山され、元は下総国猿島郡木立郷の興福寺の末寺でした。
正覚院八世重誉を深く尊信していた古河公方四代足利晴氏は、正覚院を祈願所としています。
同寺には天文14年(1545)の河越合戦の始まった時期に、晴氏から出された戦勝祈祷の礼状が所蔵されています。
激化する羽生城の戦乱のために、現在の埼玉県羽生市上岩瀬に移った時期もあり、現在の場所に遷座したのは文禄2年(1593)第十代深秀のときでした。
その頃、羽生城の戦火もおさまり、城主には新しく大久保忠隣が就いていました。上岩瀬に移る前に鎮座していた場所から1町ばかり離れた土地を忠隣から貰い、遷座したとのことです。
現在、正覚院の裏には曼陀羅堀と呼ばれる排水溝が巡っています。
この正覚院には足利晴氏のほか、多くの古文書が蔵されています。羽生城主広田直繁や木戸忠朝が僧の勝手還俗を禁じた判物や、忠朝が城の堅固を祈る祈願状、そのほか秘法を伝授した証状(印信)や、城代家老の連署状などです。いずれも市の文化財に指定されており、特に印信は羽生市内最古の古文書として知られています。
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