すわしゃ
諏訪社の編集履歴
通称
お諏訪様
ご由緒
当社は『風土記稿』栗原村の項に「多聞院 新義真言宗、葛飾郡内国府間村正福寺末、明王山と号す、本尊不動を安ず、本堂の軒に、安永年中(1772-81)鋳造の鐘をかく、諏訪社 村の鎮守なり、稲荷社 阿弥陀堂」と記されており、江戸期に多聞院の境内に村の鎮守として祀られていたことがわかる。
中略
明治初年の神仏分離により多聞院の管理下を離れ、明治六年に村社となった。
1907年(明治40年)5月30日に行われた合祀では、熊野社(字前)・天神社(字川原)が集められ、1912年(大正元年)12月13日に行われた合祀では厳島社(字川原)が合わせられている。
境内社として稲荷大明神・天満宮・熊野社・天神社・厳島社・稲荷社が祀られている。
境内施設として本殿、鳥居(二基)、手水舎、阿形と吽形の狛犬一対(1856年(安政3丙辰年)12月奉納)、灯籠、杉の林、イチョウの木、「天満宮」と彫られた石碑、「稲荷大明神」と彫られた石碑、「天下泰平五穀成就」(1857年(安政4年))と彫られた石碑などである。
10月27日の例祭では「甘酒祭り」が催される。この行事は25日に当番の人の家に米を持ちより、酒樽2本に甘酒を仕込む。27日に仕上がった甘酒を神社へと運び、神事の後、夕刻4時頃に鉦を叩き氏子を集める。氏子はお参りをした後に当番の家で甘酒と大豆・鰌・蒟蒻の煮物をいただくというものである。
(埼玉の神社・埼玉県神社庁発行、 Wikipediaより)
編集前:1907年(明治40年)5月30日に行われた合祀では、熊野社(字前)・天神社(字川原)が集められ、1912年(大正元年)12月13日に行われた合祀では厳島社(字川原)が合わせられている。
境内社として稲荷大明神・天満宮・熊野社・天神社・厳島社・稲荷社が祀られている。
境内施設として本殿、鳥居(二基)、手水舎、阿形と吽形の狛犬一対(1856年(安政3丙辰年)12月奉納)、灯籠、杉の林、イチョウの木、「天満宮」と彫られた石碑、「稲荷大明神」と彫られた石碑、「天下泰平五穀成就」(1857年(安政4年))と彫られた石碑などである。
10月27日の例祭では「甘酒祭り」が催される。この行事は25日に当番の人の家に米を持ちより、酒樽2本に甘酒を仕込む。27日に仕上がった甘酒を神社へと運び、神事の後、夕刻4時頃に鉦を叩き氏子を集める。氏子はお参りをした後に当番の家で甘酒と大豆・鰌・蒟蒻の煮物をいただくというものである。
(Wikipediaより)
ご祭神/ご本尊
《主》健御名方命
《合》速玉男命,菅原道真,伊弉冉尊,事解男命,市杵島姫命
編集前:《合》速玉男命,菅原道真,伊弉冉尊,事解男命,市杵島姫命,《主》健御名方命