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あんよういん|曹洞宗若泉山

安養院の編集履歴
2024年02月05日(月)
埼玉県 本庄駅

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くし
2024年02月05日 06時37分

ふりがな

あんよういん

ご由緒

本尊は無量寿如来で、ほかに脇立として観音と勢至の2つの菩薩がある。
もともとは、武蔵七党の一党である児玉党の一族本庄信明の弟の藤太郎雪茂が仏門に帰依して当時の富田村(現在の本庄市東富田)に安入庵を営んだが、その土地が水不足だったため、水源が豊かだった現在地に移設し、安養院を開基したと伝えられている。
以後、付近は水不足に悩まされることもなく、周辺の人々から“若泉の荘”と呼ばれるようになったという。
当時は、現在の若泉公園も安養院の境内であり、相当広かったようだ。
本庄城落城後衰退したが、その後再興され、慶安二年1649に徳川幕府から25石の朱印地を受けている。
戸谷半兵衛家や森田助左衛門家といった本庄宿の豪商たちの墓所でもある。

編集前:本尊は無量寿如来で、ほかに脇立として観音と勢至の2つの菩薩がある。
もともとは、武蔵七党の一党である児玉党の一族本庄信明の弟の藤太郎雪茂が仏門に帰依して当時の富田村(現在の本庄市東富田)に安入庵を営んだが、その土地が水不足だったため、水源が豊かだった現在地に移設し、安養院を開基したと伝えられている。
以後、付近は水不足に悩まされることもなく、周辺の人々から“若泉の荘”と呼ばれるようになったという。
当時は、現在の若泉公園も安養院の境内であり、相当広かったようだ。
本庄城落城後衰退したが、その後再興され、慶安二年1649に徳川幕府から25石の朱印地を受けている。
戸谷半兵衛家や森田助左衛門家といった本庄宿の豪商たちの墓所でもある。

ご祭神/ご本尊

《本尊》無量寿如来(阿弥陀如来)
《脇侍》観音菩薩・勢至菩薩
《霊場本尊》毘沙門天

編集前:無量寿如来
観音菩薩 勢至菩薩

山号

若泉山

院号

安養院

創立

文明七年(1475年)

創始者/開山・開基

(開基)本庄信明 (開山)玉岑慶珠

巡礼

武州本庄七福神めぐり 毘沙門天

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