浄土宗石流山
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清心寺の編集履歴
2021年12月12日 21時40分
ご由緒
この地は、荒川扇状地の末端で湧き水が豊富で古代より人が住み、六〜七世紀古墳が多く築かれました。十二世紀源平一ノ谷の戦いで岡部六弥太忠澄が平氏きっての智勇にすぐれた平薩摩守忠度を討ちその菩提を弔うため忠澄の領地の中で一番景色の良いこの地に五輪塔を建てました。忠度ゆかりの菊の前が墓前でさした桜が紅白の二花相重なる夫婦咲きとなり忠度桜として有名です。
戦国期深谷上杉氏の三宿老皿沼城主岡谷清英は天文十八年(1549)萬誉玄仙和尚を招いて清心寺を開きました。江戸期幕府から寺領八石の朱印状が下付されました。境内に忠度供養塔、腕塚、千姫供養塔、秋蚕の碑、岡谷重実の墓がある。
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