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そくしょういん|真言宗智山派岩殿山

息障院の編集履歴
2022年08月19日(金)
埼玉県 東松山駅

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ハナナチエ
2022年08月19日 15時40分

ご由緒

当山は、真言宗智山派に属し、岩殿山息障院光明寺と称する。
開創は古く、天平年中(730年ごろ)行基菩薩によるといわれている。また、大同年中(806年ごろ)坂上田村麻呂将軍の開基によるとも伝えられている。
古くは吉見護摩堂と称し、天慶の乱の折、平将門調伏の護摩を修し、その功により息障院の号を下賜されている。
現在の境内地は、源範頼の館跡といわれ、県の指定旧跡となっている。
本尊は不動明王であり、平安時代末〜鎌倉初期のもので定朝様式を伝える傑作といわれ、県指定の有形文化財である。
当山の全盛期は、戦国末期から江戸時代で、その当時は、末寺百二十余か寺を数え、隆盛を極めたものである。

編集前:当山は、真言宗智山派に属し、岩殿山息障院光明寺と称する。
開創は古く、天平年中(730年ごろ)行基菩薩によるといわれている。また、大同年中(806年ごろ)坂上田村麻呂将軍の開基によるとも伝えられている。
古くは吉見護摩堂と称し、天慶の乱の折、平将門調伏の護摩を修し、その功により息障院の号を下賜されている。
現在の境内地は、源範頼の館跡といわれ、県の指定旧跡となっている。
本尊は不動明王であり、平安時代末〜鎌倉初期のもので定朝様式を伝える傑作といわれ、県指定の有形文化財である。
当山の全盛期は、戦国末期から江戸時代で、その当時は、末寺百二十余か寺を数え、隆盛を極めたものである。

文化財

本尊不動明王坐像(県指定有形文化財)
源範頼館跡(県指定史跡)

編集前:不動明王(県指定有形文化財)
源範頼館跡(県指定旧跡)

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