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廣福寺の編集履歴
2024年08月24日 17時41分
ご由緒
廣福寺は川越にある仙波中院の末寺である。正徳4年(1714)に全焼したため古記録類の全てを失ったが、新編武蔵風土記稿には、「開山尊栄 永禄11年(1568)当寺を草創して天正12年(1584)7月11日寂せり」とあります。その一方で過去帳序文を見ると「永正甲戌仏涅槃日天台沙門実海寂」とあるので、その草創は永正11年(1514)以前にさかのぼるものと考えられます。
当寺には、徳川三代将軍家光がたびたびお成りになったと記録があり、寛永5年(1628年)のお成りの際、川越城主松平伊豆守に命じて本堂西側に休憩所を造らせ、その側に御鷹部屋を建てて、鷹を放し飼いされたといわれています。
本堂前の紅梅は、家光が嘆賞したので「御詞の梅」という言い伝えがあり、またその梅の側の井戸もその水で家光にお茶を入れたので、これも「梅の井」といわれています。
幕末には、水戸藩士から広福寺の住職になった章意和尚に関係して、勤皇の志士である当時の川越地方出身の西川錬造や清河八郎らが、当寺に出入りしていたと伝えられています。
広福寺山門は市指定文化財です。
ご祭神/ご本尊
薬師如来坐像
編集前:薬師如来
院号
地蔵院
創立
永禄11年(1568)
創始者/開山・開基
尊栄(開山)
文化財
・山門(鐘楼門)
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