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2024年04月14日(日) 15時36分 byオサッペ

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宗派
郵便番号
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344-0033
ご由緒
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「子育ての稲荷様」として信仰の厚い当社は、豊受姫命を祭神とし、備後の西部に当たる須賀の地に奉斎されている。
『風土記稿』備後村の項を見ると、村の鎮守である香取神社に続いて、「稲荷社二宇 一は勝林寺持、一は村民の持」との記載があるが、ここに載る「勝林寺持」の稲荷社が当社のことである。
勝林寺は、元亀元年(一五七〇)に源岌によって開かれたと伝えられる浄土宗の寺院で、その山号を稲荷山というところからも当社とのかかわりの深さがうかがえる。この当社の創建については、勝林寺二三世の浄誉が元文六年(一七四一)に古書を筆写して作成した「鎮守縁起」によれば、次のように伝えられている。
昔、この須賀の土地は、海中の小島であった。そのころ粕壁の浜川戸に館を構えていた春日部治部少輔という領主のところへ、「島から不思議な光が差し、海中を照らすこと一年にも及ぶので、魚が逃げてしまい、漁ができなくなって困っている。
何とかしてもらえないものだろうか」と訴えて来た者があった。そこで、領主が島を調べてみると、一本の枯れ木の朽ちた所から観音の像が見つかった。不思議に思った領主は、この像を館に持ち帰り、城中に祀って拝んでいた。
ある時、館を訪れた旅の僧にこの観音像を見せると、僧は観音像の由来について「この本尊は、昔、弘法大師が唐の国から持ち帰り、備後の国に安置したものだ。その後、備後の国に兵乱が起こり、国中が不穏となったため、難を避けて東国へ移るものが多くあった。
寺の人たちもこの像を奉じて船に乗り、東国に下った。
ところが、途中で暴風雨に遭って多くの船は難破したが、この像を奉じた船だけは何の禍もなく無事航海を終えることができた。
皆は、これは尊像の御利益だと有り難がり、尊像を拝し奉ろうとしたところ、像はたちまちどこへともなく飛び去ってしまったといわれている。これはまさしくその尊像に違いない」と語った。その後、領主は夢で「須賀島の稲荷を祀れ」とのお告げを受け、この社を建立するに至り、尊像にまつわる話の備後国にちなんで村名を備後としたという。
同書によれば、この話は建暦元年(一二一一)の出来事であり、以来、当社は王子稲荷・佐野稲荷と並ぶ関東三大稲荷の随一として広く信仰されるに至ったと伝える。
また、本地仏の十一面観音は、神仏分離後は勝林寺に移され、毎年初午の当日に同寺で御開帳が行われている。現在、内陣には宝永五年(一七〇八)銘の神鏡と狐に乗った荼枳尼天像が安置されている。
この荼枳尼天像を納めた厨子には「正一位育子稲荷大明神影□ 文化三丙寅(一八〇六)正月廿二日遷宮 稲荷山廿一世中興梁譽代」との墨書があり、このころ本殿の再建がなされたことがうかがえる。
メールアドレス
ご祭神/ご本尊
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豊受姫命
見所
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正月三が日と初午大祭には大変にぎわう神社です。
関東三大稲荷の1つに列しているとも言い、特に初午大祭の賑わいでは出店も並びます。
神社の規模とは不釣り合いなほど休日には参拝者が訪れています。
参拝時間
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24時間可能
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駐車場
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普段は社務所兼公民館横の駐車場を利用できます。(3台ほど)
鳥居前の路側帯に2台ほど停めておけます。
トイレ
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なし
参拝所要時間
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約10分
参拝料
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無料
山号
院号
創立
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1211年
創始者/開山・開基
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春日部治部少輔
本殿/本堂の建築様式
巡礼
行事
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初午大祭 3月第1日曜日
文化財
ご神体
御朱印の説明
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