みつわひかわじんじゃ
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三ツ和氷川神社の編集履歴
2021年01月02日 13時05分
ふりがな
みつわひかわじんじゃ
ご由緒
三ツ和は、明治十年に中居・上新田・小渕の三か村が合併したことによって誕生した新しい村である。
当社は、この三か村の鎮守として創建されたと伝えられ、古くは中居村の本社と呼ばれているところに鎮座していたという。『風土記稿』小渕村の項に「氷川社 村の鎮守なり、当社は古中居村にありし社なり、本地十一面観音を安ず、源永寺の持」とあるのも、そうした由来を伝えるものである。ちなみに当社が、中居村から小渕村に移った時期は、吉田勉家所蔵の「小渕村濫觴記」によれば、文明年中(1469-87)のことという。また、「宗源宣旨写」によれば、享保七年(1722)に神祇官領吉田家から正一位の神位を拝受している。
いつのころにか、中居村に八幡神社が、上新田に稲荷神社が創建されたことから、当社は小渕村だけの鎮守となり、神仏分離を経て、明治六年には小渕村の村社となった。明治元年十二月付の「神職相転願」によれば、大宮氷川神社の岩井家に入門した河原采男を当社の神職として奉仕させ、併せて同家の家内一同が神葬祭に改めたい旨が記されており、連署の中には源永寺秀鎫・氏子檀中惣代武右衛門・役人惣代名主七左衛門らの名が見える。
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