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2025年04月16日(水) 06時28分 by神社猫

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緯度
編集前
35.8668455
編集後
35.866805832119276
経度
編集前
139.6527203
編集後
139.65265114662702
ふりがな
編集後
さんかくいなりじんじゃ
郵便番号
編集後
330-0052
住所
編集前
浦和市本太3-27-1
編集後
さいたま市浦和区本太3丁目27-1
ご由緒
編集前
(「三角稲荷神社 御由緒」の立て札より)

□御縁起(歴史)
 本太の西端に鎮座する当社は、旧本太村の北部一帯に古くから住む石井姓と石塚姓を名乗る両一族が氏神として祀った社である。
 本太村の光膳院光台院には、かつて不動尊、阿弥陀如来、稲荷社の三つの神が祀られていた。本太の西端に鎮座する当社は、村人達がこの稲荷の神を戴き、本太の三角地に社を建立して、お祀りするようになった。祭神は宇賀御魂神である。
 創建した年は不明であるが、現在ある石造りの鳥居が明和年間に建てられたものなのでそれ以前お創建ということになる。また
社名にある「三角」については、境内地が三角形をした土地であったことに由来し、近隣の人達からも崇拝されている。
 『風土記稿』本太村の項に「稲荷社 光台寺持」とあり、江戸期は光台寺が別当を務めていたことがわかる。更に、この光台寺については、同項に「本山修験、中尾村玉林寺の配下、医王山光膳寺と号す、本尊不動、弥陀堂」とある。同寺は明治初期までには廃寺となったようであるが、現在の元町一丁目の石井斉家がその子孫で、「ホウエン(法印)様」の屋号で呼ばれている。なお、同家も当社の氏子である石井一族の一員である。
 本太の旧村社であった本太四丁目に鏡座する氷川神社の『明細帳』によると、無格社であった当社は、明治四十年六月七日に同社に合祀されたことになっているが、昭和九年から二十年の間に同社の『明細帳』から削除され、再び当社の『明細帳』が復活している。ただし、氏子の中では当杜が氷川神社に合祀されたことや、復祀したということが実際に行われたことはなかったといわれ、あくまで書類上の操作で行われたことのようである。
編集後
(「三角稲荷神社 御由緒」の立て札より)

□御縁起(歴史)
 本太の西端に鎮座する当社は、旧本太村の北部一帯に古くから住む石井姓と石塚姓を名乗る両一族が氏神として祀った社である。
 本太村の光膳院光台院には、かつて不動尊、阿弥陀如来、稲荷社の三つの神が祀られていた。本太の西端に鎮座する当社は、村人達がこの稲荷の神を戴き、本太の三角地に社を建立して、お祀りするようになった。祭神は宇賀御魂神である。
 創建した年は不明であるが、現在ある石造りの鳥居が明和年間に建てられたものなのでそれ以前お創建ということになる。また
社名にある「三角」については、境内地が三角形をした土地であったことに由来し、近隣の人達からも崇拝されている。
 『風土記稿』本太村の項に「稲荷社 光台寺持」とあり、江戸期は光台寺が別当を務めていたことがわかる。更に、この光台寺については、同項に「本山修験、中尾村玉林寺の配下、医王山光膳寺と号す、本尊不動、弥陀堂」とある。同寺は明治初期までには廃寺となったようであるが、現在の元町一丁目の石井斉家がその子孫で、「ホウエン(法印)様」の屋号で呼ばれている。なお、同家も当社の氏子である石井一族の一員である。
 本太の旧村社であった本太四丁目に鏡座する氷川神社の『明細帳』によると、無格社であった当社は、明治四十年六月七日に同社に合祀されたことになっているが、昭和九年から二十年の間に同社の『明細帳』から削除され、再び当社の『明細帳』が復活している。ただし、氏子の中では当杜が氷川神社に合祀されたことや、復祀したということが実際に行われたことはなかったといわれ、あくまで書類上の操作で行われたことのようである。
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