ちりくはちまんぐう
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千栗八幡宮ではいただけません
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千栗八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月04日(火)
参拝:2023年2月吉日
【肥前國 古社巡り】
千栗八幡宮(ちりく・はちまんぐう)は、佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗にある神社。肥前國一之宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は八幡三神(応神天皇、仲哀天皇、神功皇后)、配祀神は難波皇子、宇治皇子、住吉明神、武内宿禰。柔道家の故古賀稔彦氏が少年時代、当社の146段の石段で鍛錬していたことでも知られる。
『鎮西要略』によると、奈良時代の724年に肥前國養父郡司・壬生春成が八幡神の神託を受けて千根の栗が生えている当地に社を建てて八幡神を祀ったのが始まり。承平年間(931年~938年)に宇佐八幡宮の別宮となったとみられ、五所別宮(※)の一として崇敬を受けた。鎌倉時代の1228年には社殿が火災で焼失するが、1230年に近衛兼経や土御門定通などの公家が参内して千栗宮、廣田神社の焼失の件を議論しており、朝廷でも重要な神社であったことが分かる。南北朝時代には当宮西方に千栗城が築かれ戦国時代までの間、幾度となく戦乱に巻き込まれた。のち1583年に龍造寺政家が再興し、つづく鍋島氏も崇敬して社領の寄進が行われた。なお、平安時代後期以降、肥前國一之宮を称していたが、近世になって式内社・河上神社(現與止日女神社)との間で一宮の称が争われ、江戸時代初期の1609年に後陽成天皇より「肥前國総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅額を下賜されている。
当社は、JR鹿児島本線・久留米駅の西北西3km、筑後川西岸の福岡県との県境近くにある。当社の南東側には沼川が流れていて、そこから急に盛り上がった小山の上にある。山頂部の境内は平らで広々としていて、大きな社殿があってもなお広く感じられる。古巨木が散見されるので古社らしさも十分に感じられるし、いくつかある境内社を見て廻るのも楽しい。
今回は、肥前國一之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の昼過ぎで、自分以外にも家族連れなど数組の参拝者が訪れていた。
※宇佐八幡宮の五所別宮…大分八幡宮、千栗八幡宮、藤崎八幡宮、新田八幡神社、鹿児島神宮の5社。
境内南東端入口の<一の鳥居>と<社号標>。鳥居の後ろには一直線の長い石段がある。
鳥居前左側の<狛犬>。味のある表情。
鳥居前右側の<狛犬>。ちょっと笑ってる?(^_^;)
石段の右脇にある<栄光への石段>の石碑。元オリンピック柔道代表・故古賀稔彦選手が少年時代、この石段を上り下りして鍛錬したとのこと。なるほど!(o^―^o)
石段の右手数十mの場所にある<宮地嶽神社>(左)と<岡先生顕彰碑>(右)。
一直線の長い石段を登り切ったところにある<二の鳥居>。
二の鳥居の手前左側にある<狛犬>。
左側の狛犬の後ろにある<手水舎>。
左側の<狛犬>。
<拝殿>全景。
<拝殿>正面。
拝殿から振り返って境内全景、といっても境内は左右(東西)に広い。(^_^;)
拝殿手前右側にある<石造神馬>。小さくて可愛らしい。
左側の狛犬の後ろにある<臨時授与所>。
臨時授与所から見た<社殿>全景。彩色はなく落ち着いた色合いで、堂々としていて威厳がある。
ここから境内右側(東側)を見て廻る。まずは<石造仏塔>。神仏習合時代の名残り。
背後の樹木は<親子楠>。大きなクスノキの根本近くから小さなクスノキが伸びている。
背後の樹木は<親子楠>。大きなクスノキの根本近くから小さなクスノキが伸びている。
境内東側から見た景色。久留米市街地が見える。
境内東端にある<鳩森稲荷神社>。
本殿の右側にある<武雄神社>。手前左側の狛犬がユニーク。首をかしげて見上げている。(o^―^o)
拝殿の右側にある<お粥堂>。創建(724年)以来行われてきたと伝わる、「お粥試」のお粥を参拝者に供覧する場所とのこと。
拝殿の右側にある<御神木>のクスノキ。推定樹齢は400年。
社殿の左側に廻って、拝殿後ろの<本殿>。
拝殿の左側にある<社務所>。御朱印はこちら。
最後に<社殿>全景。さすが<一之宮>だけあって大きく立派な社殿。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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