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楽しみ方日枝神社のお参りの記録一覧

少し中心部から離れて細い路地を通って、何とか境内に車を入れることができました。周りから隔絶した感が有りますが、何やら作業をしついる職人さんやら宮司様が境内にいらっしゃったので怖くはありませんでした。
創建は平安時代初期、最澄(伝教大師)が唐からの帰国の際に、この地に立ち寄り、山の神である大山咋神を祀ったのが始まりとされています。古社ではありますが、敷居は高くなく気軽に立ち寄れる神社のようです。鳥居、狛犬などは昭和のもののようですが、立地の関係か?劣化が激しいようで管理が大変そうです。周りの社叢に囲まれ、一部が境内に浸食して端までいけないほどでした。作業中の宮司様にお声がけしてご丁寧な御朱印を戴きました。

昭和五十五年(1980)奉納の鳥居


由緒書 ほぼ読めません

参道


文久二年(1865)奉納の狛犬


手水舎

手水盤

神輿庫


日枝神社だけあって、造立物の上には大概お猿さん

文久二年(1862)奉納の燈籠


明治二十四年(1891)奉納の狛犬


明治十六年(1883)奉納の狛犬


昭和四十三年(1968)造立の寄付芳名塔、上にはお猿さん

拝殿

幣殿

本殿(県重要文化財)

由緒書 明治四十三年、八王子・大物主・菅原道真・岡象女・武甕槌五神他合祀

御神木の楠(市指定天然記念物)


石祠群 おそらく近在からこちらに集められたものでしょう


境内社 金刀比羅社・八天社(馴染みのない神社ですが、佐賀地方で火の神・火伏せの神として厚く信仰されているようです)

境内社一の鳥居

石仏群

境内社二の鳥居

境内社 稲荷神社鳥居

境内社 倉成稲荷神社

境内社 天満宮

脱腸の神様 伽藍さん 初めて耳にします。元は別の地に日枝神社の下の宮として社地を有していましたが、明治四十三年(1910)の寄せ宮に寄り、日枝神社境内に遷座したものです。脱腸、夜尿症の神として近隣から多くの参拝者が途絶えなかったそうです。
隣の猿田彦さんは解熱の神様として崇められていたそうです。

神楽殿
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