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【肥前國 古社巡り】
志賀神社(しが~)は、佐賀県佐賀市川副町大字早津江津にある神社。旧社格は県社。主祭神は志賀大神(しがおおかみ:住吉三神(上筒男之命、中筒男之命、底筒男之命))、配祀神は天御中主命、大国主命、少名毘古那神、事代主神、応神天皇、菅原道真、源為朝。
社伝によると、平安時代前期の859年に有明海沿岸地方の総守護神として、筑前國の志賀海神社から分霊されたのが始まり。当初は有明海岸の無人の洲に祠が建立されていて、満潮時には水没していたと伝わる。戦国時代以降、当地で勢力を誇った龍造寺隆信や鍋島家歴代藩主からの崇敬を集め、江戸前期の1658年には佐賀藩2代藩主・鍋島光茂が本殿を寄進している。江戸後期には10代藩主・鍋島直正は佐賀藩海軍伝習所である三重津海軍所にて国内初の蒸気船「凌風丸」建造にあたり当社で大願成就を祈願している。のち1865年に凌風丸は無事進水を果たしたが、当社ではこれをもって日本海軍発祥の地としている。明治に入り近代社格制度のもと郷社に列格したが、1944年に県社に昇格している。
当社は、JR長崎本線・佐賀駅の南東8kmの、筑後川の支流・早津江川西岸の、平地の住宅街の中にある。すぐ近くには三重津海軍所跡がある。住宅街を抜ける真っ直ぐで長い参道を北上すると、広々とした境内に辿り着く。草木は少なめできれいに整えられた境内には、大きな社殿と社務所があるのみでシンプルな造り。境内社は本殿裏手に集められている。
今回は、佐賀県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
社殿の200m南方にある参道入口。
参道入口の<鳥居>。
境内南端入口全景。樹木は大きいが数は少なめで境内は明るい。
参道右側の<手水舎>。ちゃんと注連縄が架けてある。
参道の左手、少し離れたところにある<社務所>。無人みたい。
<拝殿>全景。銅板葺屋根と木製の躯体でオーソドックスな見た目だが、よくよく見ると正面にサッシが入っていたりして割と新しいものみたい。
拝殿前左側の<狛犬>。前足と後ろ脚の間にお花の飾り物がある珍しいタイプ。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。珍しい注連縄の架け方。
拝殿から振り返って境内全景。長くて真っ直ぐな参道が気持ちが良い。
拝殿後ろの<本殿>。
本殿近くにある境内社。社名は不明。赤い方は稲荷社かな。
本殿近くにある石製小祠群。
本殿裏手にある<御神木>。幹が極太で非常に立派。古社らしい雰囲気を醸し出している。
拝殿の左側にある、もう一つの参道。
参道の突き当りには<殉国者顕彰碑>がある。
横から見た<社殿>全景。拝殿と本殿は同時期に建てられたようで、しっかりとした大きさでバランスも良い。
最後に<社殿>全景。社務所は無人だが、境内も社殿も手入れが行き届いていて、大事にされていることが伝わって来る。(^▽^)/
名称 | 志賀神社 |
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《合》天御中主神,大国主命,少名彦命,事代主命,応神天皇,菅原道真,《主》底筒男命,中筒男命,表筒男命,底津綿津見命,中津綿津見命,上津綿津見命 |
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