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2026年04月24日(金) 21時15分 byInsidious
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江戸時代享和頃の著「河内名所図絵」に 「天神祠 市村に在り 寺を法幢寺といふ 本尊十一面観音は聖徳太子御作也長一尺七寸 神木に膝行松(いざりまつ)といふなり」 と記し、又宝暦十三年正月の「神主宮勤致数覚」という記録に「天満宮」と記しておりますので、もとは、「天神社」とか「天満宮」 と申しておりましたが、明治時代になって「北山神社」とか「菅原神社」とか称し菅原道真公を主神としてお祀り申してきた神社であります。 江戸時代以前の古記録は現存しておりませんが、道真公のご神体は桧材の座像で、平安末期の作と云われていますし、同時代作の他の一体の ご神体はこの附近に住みついた人たちの祖先の神のお姿でありますので、その後鎮座は平安時代にさかのぼる大変古い時代のことであろうと 思われます。 江戸時代に市村の五軒の家が宮座を組織し、毎年交代で祭祀を掌ってきましたが、明治時代になって新に専任の神主が神事をとり行い今日に いたっております。 明治二十二年四月一日に、市村(現在の市町)市村新田(現在の木戸町)向野村(現在の向野町)三村が合併して市新野村と称しましたが、 その氏神はそれぞれ市村は菅原神社、市村新田は木戸神社(御祭神は稲田姫命)と別れておりました。しかし、明治四十年十月十九日に木戸神社 と伊予神社の御祭神をこの菅原神社に合祀し、翌四十一年十二月には神饌幣帛料供進社となったのであります。 その後、大正五年四月に村名が千代田村と改称してから、村民は俗に千代田神社とも呼んでおりましたが昭和四十三年十月には正式に「千代田神社」 と申し上げることになったのであります。もちろん、現在は氏子が相寄って宗教法人を組織しお祀りいたしております。 道真公は、昔から学問の神様として崇敬されていますが、千代田地区の氏子は誕生後一カ月の「宮参り」を始め、お正月の「初詣で」、秋の収穫を 神様に感謝する「秋祭り」等、何かにつけて、この神社に相集い心のふるさとを再建する聖域として親しんできたのであります。
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平安時代
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切妻造
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歳旦祭 1月1日 節分祭 2月節分の日 秋例祭 10月10日 地車祭 10月の第2土曜日 新穀祭 11月23日 月次祭 毎月1日、15日
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