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2023年11月02日(木) 13時52分 byInsidious
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この地には、平安時代末頃から牛頭天王を祭る牛頭天王社という大きな神社があり、池尻村(現在の池尻、東池尻、狭山の一部)の氏神様として信仰を集めて来た。神社名は、参道横の字名「狭間」をとり狭間神社と呼ばれている。 江戸時代の神社は現在の参道下にあった鳥居をくぐり石段をのぼり詰めた所に4mもある大きな石の鳥居があり、右手に鐘楼があった。その奥には神宮寺としての金蔵寺はあり、その鐘の銘文には南北朝時代に兵火で焼失した事が書かれている。この鐘は、狭山池の番水時刻も知られていた。 神社の広さは現在地より、南は狭山池北堤、池尻城跡まで、宮山と呼ばれる神社林が続いて、その山中に雨乞いの龍神社が北条氏朝により勧請されていた。(現在は狭山池の中で祀られている。)明治に入り、元年の神仏分離令で、廃仏毀釈が行われ、金蔵寺は廃寺になった。 さらに、明治40年の一村一社令により狭山村(池尻村と半田村が合併)で、一社にすべく話し合いの結果、池尻村の牛頭天王社は半田村の狭山神社に合祀され、広大な神社林、建物、鳥居などほとんどが処分された。しかし、池尻村の人たちは、ご神体など重要なものを寺の床下に隠して守ったと言う逸話が残っている。 その後、昭和16年に地元住民の神社復興の強い願いから狭山神社の遥拝所として復活を遂げ、現在の狭間神社に至ったのである。釣燈籠等は牛頭天王社の物を使用している。