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2026年01月02日(金) 15時50分 byお水
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さんとじんじゃ
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大字今態の西北、金蔵院原にあり、創建年代は詳らかではないが、三十六代孝徳天皇(六五〇年頃)のころと伝えられる。 享保年中(一五三〇年頃)兵火にかかり、社殿、堂塔、神宝類ことごとく焼失した。現在の本殿は天文十五年(一五四六年)九月、寺僧諦観が再建したと伝えられる。 往古はこのあたりに金蔵寺という寺があって住職が社僧として神社を司っていたらしい。そして寺の塔頭(タッチュウ)として西宝院、地蔵院、光明院、吉祥院等があって、寺は本体で神社の方が寺の鎮守だったかと推論される。 明治維新の際、神仏分離、排仏棄釈の嵐に依り金蔵院は廃し神社のみ残ったのである。 金蔵寺は今は跡だけであるが、山号を今熊山という。 真言宗の寺で二六〇年程昔に延命寺の蓮体和上、東野蓮光寺の通玄和上等と交友のあった理淵諦観和上という学僧が住職即ち社僧であった。 本神社を再建された諦観和上の位牌は今も毘沙門堂に古い仏像数体と共に安置されている。 明治五年村社になり同四十一年十二月神饌幣帛料供進社に指定せられる。 末社に春日神社・稲荷神社の二社あり、さらに各村にあった八社(岩室の熊野神社・愛宕神社・琴平神社・厳島神社・大野の八幡神社・ぐみの木の八幡神社・西山の琴平神社・山本の稲荷神社)を明治四十一年十二月二十三日合祀して三都神社と改称し、十月十一日を例祭と定めた。 又三都神社奉讃会を組織、多額の浄財の奉納と戎行事の収益により、社務所の立替え及び古くなりし戎社本殿を改築し、平成元年正月三都神社の拝殿を総桧造り銅版茸の立派なものとして竣工を見、境内地に浄財奉納者の芳名を刻んだ玉垣と石銘板を建立した。 平成元年八月三都戎行事の浄財により、石段中央の鳥居横に桧造り銅板葺の手水舎を移築し、旧三都村の氏神としての尊厳を維持するに至る。 境内の石造手水盤に「三所権現毘沙門堂、享保三年」の文字が見え、宮山から漢出る御神水を水天宮にお祀りしてここに引いてあり、先ずこの御神水で手を洗い口をすすいで参拝することになっている。 他に一六〇年程前の百度石や石灯籠三対、石の狗犬一対、石の鳥居などがあり、狗犬の足をくくると足止め、早くかえってくると伝えられうわきふうじともいわれて、又夫婦和合、えん結びの神として知られ崇教者が絶えない。
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あり
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