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2025年04月21日(月) 09時05分 bysoo_cyan
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藤井寺
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当寺御本尊の千手千眼観世音菩薩坐像は、千手にて迷える衆生を救うための大慈悲を示し、唐招提寺、三十三間堂とともに三観音として有名である。秘仏。毎月十八日に開扉、その美しさは人々を魅了し、現世利益の観音信仰を支えてきた。
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葛井寺は7世紀前半百済からの渡来人葛井氏の氏寺として創建されたと伝わります。 葛井氏の前身である白猪氏は朝廷から葛井連(ふじいのむらじ)の姓を賜ります。 日本で初めて体系的に刑法や行政法と民法を揃えた法典「大宝律令」(701年)の作成にも葛井一族は大きく関わっており、葛井氏は新しい文化を多くもたらします。その実績が認められ広大な土地を賜り、その地に寺を建立し葛井寺の基が始まったとされます。 永長元年(1096)に藤井安基という人物が、葛井寺の荒廃している様子を嘆き、伽藍の大修理に尽力します。その姓をとって「藤井寺」という別名がつきました。地名の「藤井寺市」もこの藤井さんが元だと言われています。 藤井安基は元々は誰も手が付けられない乱暴者でしたが、急死した後、閻魔大王に地獄に落とされるところを藤井寺の観音様に救われ蘇生します。その後堂宇を大々的に再興し葛井寺の為に命をかけたと言われています。 奈良時代には「葛」と「藤」は混用されていたとされますが、葛井寺の建立には2人の「ふじいさん」が大きく関わり今の姿になります。 葛井寺の千手観音坐像は、文字通り゛千の手”と”千の目”を持つ千手観音様です。 頭上に十一面をいただき、錫杖や宝輪、数珠などをもつ「大手」に、孔雀のように拡がる1001本の「小手」、そして正面の合掌手を合わせ「1041本」の手を持ちます。 さらに、掌にはそれぞれ眼が描かれております。日本では、千手観音は四十二手とされるのが一般的で、実際に千手をあらわすのは我国では唯一と言える遺例のひとつです。 厳しくも美しい尊顔をもつ本様は、725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代にわたり制作され、行基菩薩により開眼せられたと伝えられれます。 堂々とした体躯は奈良時代に流行した脱活乾漆造という技法で造られます。粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しく、現存する脱活乾漆仏は大変貴重であります。端正な顔つきに、のびやかな肢体、そして千手という超人的な姿を自然な調和をもってあらわした像容は天平彫刻の粋を集めた観音像です。
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info@fujiidera-temple.or.jp
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fujiidera3305
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仁王門(南門)入って右手の烏枢沙摩閣(トイレ)があり
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毎月十八日のご本尊開扉日のみ 500円、特別拝観寺要確認
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紫雲山
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725年
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葛井広成/行基菩薩
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乾漆千手観音坐像(国宝) 四脚門(重要文化財)
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【国宝】乾漆千手観音坐像(本堂安置) 【重要文化財】葛井寺四脚門(切妻造、本瓦葺) 【府指定文化財】石造灯籠・金銅宝塔 【市指定文化財】聖観音菩薩立像・地蔵菩薩立像
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