ほうふくじ|浄土宗|楊柳山
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法福寺の編集履歴
2023年06月04日 22時48分
ふりがな
ほうふくじ
通称
お菊寺
ご由緒
分亀元年(1501年)第一世楊蓮社柳誉上人順阿貞也和尚が開基したと伝えられています。寛政7年(1795年)に本堂、庫裏等が焼失し、現在の本堂は安政5年(1858年)に、庫裏は慶応2年(1866年)に再建されたものです。
この寺には、お菊という人物の木像が安置されているため、「お菊寺」とも呼ばれています。地元の言い伝えによると、お菊は豊臣秀吉の甥秀次と側室小督との間に生まれました。後に波有手の豪族後藤興義の養女になり紀州の山口兵内に嫁ぎました。大坂の陣で山口家は豊臣側につき、お菊は使いとして大坂方との連絡をつけることになりましたが、大坂からの帰途樫井川で徳川方に捕えられ、元和元年(1615年)に処刑されてしまいました。この寺がお菊が養女となった後藤家の菩提寺であったため、お菊を偲んで木像がつくられたということです。
また、お菊の行動は手まり歌として地元で代々言い伝えられています。
ご祭神/ご本尊
阿弥陀如来
アクセス
南海本線「鳥取ノ荘」駅より、徒歩3分
創立
1501年(分亀元年)
創始者/開山・開基
第一世楊蓮社柳誉上人順阿貞也和尚
Wikipedia
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