さいしょうじ|浄土真宗本願寺派|移海山
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西性寺の編集履歴
2024年04月18日 14時36分
ご由緒
移海山西性寺の開創は天正12年(1584)にさかのぼります。西性寺の開基住職釋了喜法師は、もと江州多賀庄茂原村(現在の滋賀県犬神郡多賀町桃原)の寺院の出身です。了喜は、元亀元年(1570)本願寺と織田信長との間で石山合戦が始まると、直ちに「法然親鸞両上人お別れの御影」を奉持して石山御坊に上り、この合戦に参戦し、本願寺第11代門主顕如上人に仕えました。
天正8年、勅により本願寺は信長と和睦し、顕如上人は宗祖御影を奉じて大坂から紀伊鷺ノ森、その後和泉貝塚へと移られ、了喜はこの間も顕如上人に仕え行動を共にしました。天正10年6月、本能寺の変で信長が殺害され、世は秀吉の時代に移ります。秀吉は、依然として全国的に大きな勢力を有していた本願寺に対し、敵対することなく、友好的な政策をとりました。
戦乱が落ち着き平和の兆しが見えてきた頃、了喜は、貝塚本願寺のお膝元「ぬか塚(南の春木)」の門徒衆の招きにより、この地に寺基を定めました。その際、了喜が石山合戦に参戦するとき奉持してきた「お別れの御影」に対し、天正12年2月20日付で顕如上人から添え書きを賜りました。よって、この時をもって西性寺の開創とされています
ご祭神/ご本尊
阿弥陀如来
山号
移海山
創立
天正12年(1584)
創始者/開山・開基
釋了喜法師
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