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2025年10月01日(水) 07時51分 bysoo_cyan
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北口地蔵尊は喜連環濠集落の北の出入口に祀られ、天文年間(1532~55)喜連城主細川氏綱の時代に創建されたと伝えられている。明治初年(1868)には環濠集落出入口の木戸が廃止され、明治十年(1877)には地蔵堂が再建された。 地蔵堂には石造りの地蔵尊一体が東向きに鎮座され、御堂の前の道は高野山から熊野に至る平安時代からの参拝の道「中高野街道」である。昔は旅する人々や往来の人馬が多く、軒の大きな本地蔵堂は雨宿りにも利用されていた。 地蔵堂の北側は今では道路となっているが、道幅の半分は昭和三十年代まで環濠が残り、石垣が築かれ、立派な石橋が架かっていた。ボーリング調査により、環濠の深さは約3mであったと判明した。 「松山橋」の橋名は地蔵堂北東一帯のかつてあった「松山」の字名に由来する。江戸時代初期の古図に「松林山」の記載がある。喜連城があった頃は実際に大松の繁る丘があり、その昔は古墳だったと推察される。江戸時代の新田開発により削り取られたと思われる。
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天文年間(1532~1555)