しきないたてはらじんじゃ
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式内楯原神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月17日(土)
参拝:2024年8月吉日
大阪府の寺社仏閣巡りの6箇所目は、5箇所目の大阪市平野区にある如願寺の南側に隣接する式内楯原神社です。(神社に関しては勉強不足で、なぜ楯原神社の頭に式内を付けるのかわかりません。)
如願寺の南門をくぐると、こちらの神社の境内です。如願寺がこの神社の神宮寺だった、若しくは、如願寺の鎮守社がこの神社だった、のどちらかだと思われます。
予定にはなかったのですが、折角ですから参拝しました。
祭神は、武甕槌大神(タケミカヅチノオオキミ)、大国主大神(オオクニヌシノオオカ)、孝元天皇、菅原道真、赤留姫命(アカルヒメミコト)。
崇神天皇7年(西暦にすると紀元前)に鎮座と伝わる。平安時代の延喜式神名帳に記載された神社である。元は字楯原(現在地より西)にあったが兵火により現在地に遷座、桓武天皇の時代に龍王社を合祀して境内別殿とし奥の宮と称した。更に1620年頃に付近の天神社を合祀し、天神社と称するようになり、奥の宮を楯原神社と呼ぶようになった。明治維新後に楯原神社は無格社となり、天神社(本来の楯原神宮)は村社となった。明治40年の一村一社の政策のために天神社に楯原神社が合祀され、楯原神社の名が無くなる危機に陥ったが、氏子らの努力により社名を再び楯原神社に改められたとの事です。(紆余曲折、かなり複雑)
鳥居に向かう南北の通りは「馬場道」という名で、昔は馬場として利用され、流鏑馬が行われていたそうです。社号標があって手水、鳥居をくぐると左側に社務所。その先の右側に西向きの拝殿(鳥居の正面に拝殿は無い。境内西側にもう一つの鳥居がある。)。拝殿前で手を合わせてから右側へ廻り込むと本殿裏の参拝所、神宝十種之宮、楠社、稲荷神社がありました。
最後に社務所で御朱印を頂きました。
如願寺の南門をくぐると、こちらの神社の境内です。如願寺がこの神社の神宮寺だった、若しくは、如願寺の鎮守社がこの神社だった、のどちらかだと思われます。
予定にはなかったのですが、折角ですから参拝しました。
祭神は、武甕槌大神(タケミカヅチノオオキミ)、大国主大神(オオクニヌシノオオカ)、孝元天皇、菅原道真、赤留姫命(アカルヒメミコト)。
崇神天皇7年(西暦にすると紀元前)に鎮座と伝わる。平安時代の延喜式神名帳に記載された神社である。元は字楯原(現在地より西)にあったが兵火により現在地に遷座、桓武天皇の時代に龍王社を合祀して境内別殿とし奥の宮と称した。更に1620年頃に付近の天神社を合祀し、天神社と称するようになり、奥の宮を楯原神社と呼ぶようになった。明治維新後に楯原神社は無格社となり、天神社(本来の楯原神宮)は村社となった。明治40年の一村一社の政策のために天神社に楯原神社が合祀され、楯原神社の名が無くなる危機に陥ったが、氏子らの努力により社名を再び楯原神社に改められたとの事です。(紆余曲折、かなり複雑)
鳥居に向かう南北の通りは「馬場道」という名で、昔は馬場として利用され、流鏑馬が行われていたそうです。社号標があって手水、鳥居をくぐると左側に社務所。その先の右側に西向きの拝殿(鳥居の正面に拝殿は無い。境内西側にもう一つの鳥居がある。)。拝殿前で手を合わせてから右側へ廻り込むと本殿裏の参拝所、神宝十種之宮、楠社、稲荷神社がありました。
最後に社務所で御朱印を頂きました。
すてき
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