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2025年09月05日(金) 17時29分 bysoo_cyan
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こうふくじ
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勝間御堂
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昭和四三年発行の「西成区史」には、光福寺は吉祥《きっしょう》山光福寺と号し、真宗仏光寺派に属する。創始は、同寺によれば嘉祥《かしょう》元年(八四八)小野たかむらの発願により、奈良興福寺の別院として住吉玉出の里に創建、松林山興福寺と号したが、元応《げんおう》元年(一三一九)門信徒の要請により建物のすべてを勝間村に移し光福寺と改めた。元弘二年(一三三二)時の住職円槿上人、真宗仏光寺派了源上人に帰依《きえ》し宗派を真宗と改めこれを当寺の中興とした。寺宝・古文書等は元和元年(一六一五)大坂夏の陣を避けて高野山に疎開させたところ疎開先で火災にあい、そのほとんどを焼失、さらに太平洋戦争で残る諸物品も堂宇と共に戦火を受けすべて焼失した。 なお旧幕時代には仏光寺門跡に所属する院家寺院として摂津の国院家や「勝間御堂」と称された。
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阿弥陀如来
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吉祥山
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嘉祥元年(848)
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伝:小野篁(松林山興福寺)
