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楽しみ方編集詳細
2025年06月09日(月) 18時56分 bysoo_cyan
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みつじんじゃ
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石田皇大神宮
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552-0004
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当神社は明和元年(1764)府下豊島郡才田村(今の池田市)の人、石田三右衛門が当地埋立干拓の際、工事の安全と成功を祈り、守護神として、明和5年(1768)この地(今の石田二丁目・旧石田呉服町から安治川の川中にあたる安治川内海化計画による工事の進捗につれて石田町と八幡屋町の一部は既に海成地となり土地の姿を見ることが出来ぬ)に社殿を建造勧請したもので創祀にあたり天照大神を奉斎して石田皇大神宮と称し、爾来当地の開発鎮守の神として村人の崇敬篤き神社となり、現今に至る。 田中町は安永7年(1778)大阪の人、田中又兵衛が埋立干拓した新田で工事の安全と成功を祈り守護神として田中産土神社を勧請し、今に至る。 八幡屋町は文政12年(1829)唐物町の人、八幡屋忠兵衛が埋立開拓した新田で工事の安全と成功を祈り、守護神として八幡屋住𠮷神社を勧請し今に至る。 明治40年10月7日、石田皇大神宮へ田中産土神社を合祀し、両町名の一字ずつをとりて社号を石中神社と改称す。後に今の石中稲荷神社に命名す。 明治42年石田神楽町へ移転遷座せられる。その後大正2年10月6日さらに八幡屋住𠮷神社を合祀し三つの津、三つの社を合祀されたところから昭和7年4月1日社号を三津神社と改称されるに至った。 昭和8年3月、田中元町五丁目(今の大阪サイロ敷地から川辺あたり)に移転す。ここで三町協力社殿改築御造営に着工、地鎮祭を執行、当時東京相撲協会地方巡業中の横綱関取数人奉納相撲ありて神殿地を踏固めたと伝えられる。 昭和11年10月16日、壮麗な新社殿の完成とともに盛大な御遷座が行われた。こうして氏地の精神的結合の中心として生活の根源を培い、郷土発展の基盤となって氏子住民の繁栄をも足らしめたが、然るに昭和20年6月1日、第二次大戦の戦災に罹り焼失するに至った。その後大阪市の都市計画と盛土工事のため、昭和25年5月1日西田中町四丁目五十一番地に移転仮殿に遷座せられ祭祀をつづける中、たまたま大阪市が同氏神地に、国際見本市会場第三恒久展示館を建設するに至り、やむなく移転することになりこれを機に茲に再度復興御造営の運びとなり、昭和42年1月13日地鎮祭を執行、同年3月23日現在地へ移転遷座せられる。昭和42年12月20日荘厳な新社殿の竣工とともに正遷宮せられる。こうしてあらゆる苦難を乗り越え七転八起、今日に伝えた吾が郷土生成発展の守護神である、氏神復興御造営は見事に完成されたのである。この神社は天照皇大神を主神として奉斎するお社でありますことから、御社殿は神明造に改築し致し鉄筋コンクリート建の雄大な社殿にして、高天原に千本高く聳え立つ、その荘厳な神々しさは、大阪西玄関のシンボルとして、近代的建築と古代社の神宮様式に依る、まさに主神様に相応しい優美なお社が港区の中枢たる吾が街に厳然と聳え立つに至ったのであります。
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06-6573-0623
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三津大神(みつのおおかみ) 本座 天照皇大神(旧石田皇大神宮) 左座 大海大神(旧田中産土神社) 右坐 住吉大神(旧八幡屋住𠮷神社) 生国魂大神 宇迦魂大神
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Osaka Metro中央線朝潮橋駅⑦出口東へ100m
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1768年(明和5年)
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石田三右衛門
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4320094
