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2025年06月01日(日) 06時45分 bysoo_cyan
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へんまんじ
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寺伝によれば遍満寺は、開基 越智喜兵衛通利(法名 浄願)が創立しました。 御先祖は伊予(現在の愛媛)より淡路に移住したのち、一族共に明石あたりを経て、 姫島の松原(後に稗島)を開発し、このときに浄土真宗の門葉となったそうです。 そして二代目 通利のときに道場を建て、御絵像・阿弥陀如来と御文一帖を奉安しました。 その御文には証如上人のお名前と天文六年(1537年)と裏書されていたそうです。 時は流れて、豊臣秀吉の御代 文禄三年(1594年) 太閤検地の節、年貢を免除され、そして本願寺東西分立 慶長七年(1602年)二月の年、 徳川家康公が教如上人に京都東六条の寺地寄進した時期に、一家皆倶に教如上人に歸依し、真の門徒となり、 御文一帖下附を請うて始て御剃刃頂載し、法名を釋浄願と改めました。 次いで第三世 浄玄のとき寛文四年(1664年)に御本尊・寺号龍法山遍満寺と下附せられました。 第四世 浄哲のときに六間四面の本堂を宝永四年(1709年) 建立。 その後、第五世 浄界が庫裡、同二年には本堂を宝暦元年(1751年)に修覆し、本堂建立以来二百八十余年の久しきにわたり、 この姫島(西淀川区)の地で、この町の無明長夜の燈炬として人々を照らし続けてきました。 しかし、太平洋戦争末期 昭和二十年(1945年) 三月十四日未明の大阪空襲にて、遍満寺は太鼓楼以外は一切空しく灰燼に帰しました。 辛うじの救いは、第十二世 釋潤徳(河野 包麿)が燃え盛る業火の中より阿弥陀如来の御尊像をなんとかお連れすることできたことでした。 この空襲で寺院だけでなくこの姫島の地は焼け野原になりました。 翌年には仮本堂を建立し、昭和三十四年(1959年)十月 戦災都市計画の際、太鼓楼を移転し山門に活用し聖徳太子尊像を奉安。昭和四十二年(1967年) 本堂屋上に鐘楼。昭和四十三年(1968年) には納骨堂新装。平成元年(1989年) 山門・塀・諸堂宇の瓦葺替が成就。
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https://henmanji.jp
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阪神本線姫島駅徒歩5分
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龍法山
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越智喜兵衛通利(法名 浄願)