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楽しみ方編集詳細
2025年07月06日(日) 00時58分 bysoo_cyan
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八阪神社、柏之社
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555-0023
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現在の西淀川区花川の地はかつて海老江新家えびえしんけとも称し、海老江村(現在の福島区海老江)の西北端に位置する属邑ぞくゆう(枝村)だった。鼻川神社はその鎮守社で、明治9年(1876)以前は八阪神社の名で祀られていた。祭神は本村海老江の八坂神社から勧請された素盞嗚尊と、神功皇后の二柱。 鼻川神社の元の鎮座地は字名を萬倍(まんばい)といった。これは承久3年(1221)に豊作祈願が成就して一粒万倍の御利益を得たことに由来するという。この時に社殿を改築したことが由緒に記されている。それが年代の明確な事跡で最も古いものだが、口碑によれば、鼻川神社創祀のきっかけはその遥か以前、神功皇后の御代に遡る。 三韓征伐の折、神功皇后がこの里に立ち寄り御野立所とした。里人が餅を柏の葉で包んで献上すると、皇后は里の名を問う。名はないと申し上げると、里は中津川に突き出した端はなに位置するので「鼻川」、川の渡し場は柏餅にちなんで「柏の渡し」の名を賜った。それを記念して皇后を祀るようになったという。 新淀川が海老江村を横切ることになり、海老江新家は本村と川を隔てて分断される。この時に鼻川神社の社地は新しい川の河川敷に当たってしまい、五十間(約90m)ほど離れた場所(現在の鎮座地からおよそ150m北東)に仮社殿を建てて遷座する(明治30年(1897))。 明治39年(1906)の勅令により神社合祀政策が進められることになると、いまだ仮社地にあった鼻川神社はその対象となった。協議の末、隣村稗島(現西淀川区姫島)と交渉、郷社姫嶋神社の境内末社として存続する道を選び、明治43年(1910)に出願、許可を得た。ところがこの移転はなかなか実行されず、数年を経た大正6年(1917)、内示のあった替地が姫嶋神社に下げ渡され、譲り受ける内諾を得た上で、大正10年(1921)、当局に独立を請願するも却下となる。 大正12年(1923)に再度独立を出願、翌13年(1924)8月、独立が認められ、新たな土地に晴れて遷座することが決まった。社地の整備が地道に進められ、昭和9年(1934)に新社殿を建立。現在の鼻川神社である。
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06-6471-3903
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阪神本線「姫島駅」徒歩11分 JR神戸線「塚本駅」徒歩11分 大阪市バス「野里」バス停徒歩6分、「花川」バス停徒歩5分
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