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たみのじんじゃ

田蓑神社の御由緒・歴史
大阪府 千船駅

ご祭神表筒之男命
中筒之男命
底筒之男命
神功皇后
ご神体不詳
創建時代貞観十一年(869年)9月15日(創始は神功皇后の御代)
創始者不詳
ご由緒

 「日本書記」や「古事記」でよく知られるお話しで、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きました。
 そこで受けた汚れを清めるために、「筑紫の日向の橘の小門の憶原」というところで禊祓いしたとき、住吉の神である底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うはつつのをのみこと)の「住吉三神」が生まれました。

 時代は下って、十四代仲哀天皇の妻である神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅に出兵する際に、住吉の大神を守り神と奉り、遂に成し遂げ国の安定を築かれました。その帰途、この地に立ち寄られた折、海士が白魚を献上されてより、その海士を奉ったとされております。

 後の世、当地開拓の時その海士が出現し、神功皇后の御船の鬼板を伝え守って数百年、この神宝を安置して住吉大明神をお奉りせよと申され、貞観十一年(869年)に創建され、住吉三神と神功皇后の「住吉四神」をお奉りいたしました。

 社名は時代と共に、田蓑嶋神社(田蓑嶋姫神社との説も)、住吉神社(住吉大神宮、住吉明神、住吉大明神とも)と変遷し、明治元年(1868年)に田蓑神社と改められました。[当神社HP由緒より]

歴史
由緒[編集] 869年(貞観11年)9月15日に鎮座したと伝わる[1]。田蓑神社略由緒によると、神功皇后が三韓征伐の帰途にこの地を立ち寄られ、その際に島の海士が白魚を献上し、その海士を奉ったのが興りとされている。その数百年後、この地を開拓するとその海士が出現し、「神功皇后の御船の鬼板を伝え守って数百年、この神宝を安置して住吉大明神をお奉りせよ」と申されたため創建された。この船の鬼板は田蓑神社の神宝として奉られている[1]。 田蓑姫神社として創建されたが、寛保元年(1741年)に住吉神社と名を変え、1868年(明治元年)に田蓑神社に改名した[1]。 徳川家康と深い縁があることでも知られ、天...Wikipediaで続きを読む
引用元情報田蓑神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%94%B0%E8%93%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=97298783

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