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2025年06月14日(土) 10時21分 bysoo_cyan

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しょうふくじ
通称
ご由緒
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 正福寺は室町時代の頃、今を遡ること六百数十年前に当地に仏教の道場として創建されました。
 経ること約百年後の文明7(1475)年乙未年、本願寺第八代宗主・蓮如上人が摂津方面をご巡錫(じゅんしゃく)の折り、当代住職・釋祐正が、上人より「如来尊号御染筆」を賜り、ここに浄土真宗本願寺派清涼山正福寺が開基されました。その後、第九代宗主・実如上人より「南無阿弥陀佛」の六字名号の御染筆えおご下附されました。
 石山合戦(1570~1580年)、石山本願寺に立てこもった第十一代宗主・顕如上人、門徒宗と織田信長の戦いの折、荒生(なぎ)の蓮生寺(旭区)、中村重誓寺(旭区)と当寺の三ヶ寺で結成されていた「榎並十四日講」が一丸となって「青田」を刈り取り、困窮を極めていた石山本願寺に兵糧として搬入。喜ばれた顕如上人より「青田のご文章のご消息」という感謝の御文を賜わりました。後の慶長19(1614)年、大坂冬の陣の軍功により榎並庄(五ヶ村)の地頭となった蒲生郷舎より寺領二百石と共に「蒲生姓」を授かりました。
 江戸時代に入り、宝永4(1707)年には本堂が全焼しましたが、すぐに再建され、第十四代門主・寂如上人より「六字尊号」を賜わりました。承応3(1654)年、第十三代門主良如上人より、寛延3(1750)年にも第十七代門主・法如上人より、榎並十四日講の一寺として「ご消息」を賜わりました。
 近代に入り、昭和20(1945)年6月7日の京橋大空襲で本堂と庫裏を全焼。大正年間に建立された山門・鐘楼のみが残りました。昭和56(1981)年3月に現在の本堂・伽藍が再建され、「梵鐘」も昭和59(1984)年9月に再鋳されました。
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Osaka Metro「蒲生四丁目」駅徒歩5分
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山号
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清涼山
院号
創立
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室町時代(1300年代)
創始者/開山・開基
本殿/本堂の建築様式
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