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2025年07月04日(金) 02時10分 bysoo_cyan
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ふっこうじ
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大化年間のはじめ(645年)、法道仙人と呼ばれる仙人がインドから中国朝鮮を経て日本に来られ、兵庫県の法華山に住んで真言宗を広めました。法道は紫色の雲に乗って自由に大空をとび回り、井戸を掘り、洪水を防ぎ、病気を治したので、人々は驚きおそれ上人さまと呼んで信仰しました。 大化年間5年には当時の帝、孝徳天皇が重病になりましたが、見事にお祈りをして全快させ、それからは疫病などが流行すると一番に都に呼ばれてお祈りの会を開いています。 あるとき法道が都から雲に乗って播州へ戻る途中、加島の辺りで五色に光る不思議な霊光に気が付きました。それで早速雲から降り、土地の人を集めて自分で仏像を彫り、祀らせました。孝徳天皇はこの話を聞いて富光寺と名をつけ、勅額と田畑を寄進したといわれます。 また一説には、ある尼が四天王寺に参詣すると夢の中に聖徳太子が現れ、加島に行くようお告げがあり、そこで翌朝急いでやってくると草むらの中からまぶしい光を放つものがある、よく見ると仏舎利(仏の骨のこと)でしたので、おしいただいて富光寺に納めたとの話もあります。 鎌倉時代には将軍北条時頼が訪れ、大きな鐘を寄進し、折からこぼれ散る梅の花を眺めて「吹くは憂し 花をば避けよ 春の風」と一句をものしたといわれた富光寺。戦国時代には楠木正儀が戦勝を祈念したり、三好長慶の本陣となったりしました。山号の長慶山はこれによるものです。 また豊臣秀吉も寺領として数町歩の土地を寄進していますが、これらは富光寺がどんなに知られていたかを示す資料となります。 慶長年間(1596)、僧実印がさらに整備し、明治のはじめのころまで境内1万5千坪、松や杉が生い茂って、昼なお暗い荘厳な古寺でした。古寺で有名な富光寺も、よる年なみには勝てず、鉄筋コンクリートで生まれ変わりました。(落慶法要:昭和60年3月24日・弘法大師1150年御遠忌奉業)
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阿弥陀如来
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fukkoji-yodogawa.com/index.html
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JR東西線「加島駅」徒歩10分 市バス・阪急バス「加島」バス停より徒歩5分
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6:30~17:30
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長慶山
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伝:646年(大化2年)
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伝:法道仙人
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摂津国八十八箇所巡禮 第7番
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