なかじまそうしゃ
中島惣社の編集履歴
郵便番号
533-0033
住所
大阪市東淀川区東中島4丁目9-41
編集前:大阪市東淀川区東中島4-9-41
ご由緒
孝徳天皇御代の白雉2年(651年)都を難波長柄豊崎宮に遷都した際に、創建された。
『摂津名所図会』によると、「稲荷祠 北中嶋惣社也。此辺六ヶ村産土神とす。天満宮社家寺井紳主兼帯所」とあり、もとは稲荷神社と称していた神社である。
豊臣秀頼の崇敬が厚く、「中嶋総社」の四字を記した絹地一通が寄進されていた。
ところが、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣の兵火によって社殿が焼失してしまい、残ったものはわずかに絵図と建武2年(1335年)の木額だけだった。
1872年(明治5年) 郷社になる。
1896年(明治29年) 稲荷神社から現在の社名に改められた。
1907年(明治40年) 神饌幣帛料供進社に指定される。
1908年(明治41年) 以下の11社を合祀する。
・北方の天満宮
・北中島の春日神社
・南宮原の春日神社
・西宇城の皇大神社
・南方宮西の村社稲荷神社
・北中島の天満宮
・柴島の八幡天神宮
・薬師堂の八幡天神宮
・南方新家の稲荷神社
・淡路の天満宮
・宇引江の宮の須賀神社
(ちなみに、須賀神社は建武年間(1334年 - 1336年)に有名であった刀鍛冶国次の勧請で創建されたものである。)
1909年(明治42年) 境内末社大将軍社に以下の2社を合祀する。
・淡路東寺の神明社
・字浦の大将軍社
1909年(明治42年) 須賀の森公園の場所にあった須賀神社を境内に合祀した。
1945年(昭和20年) 6月7日の第3回大阪大空襲によって全焼した。それまで、神楽殿・絵馬殿など多くの社殿があったが焼失している。
現在の社殿は1987年(昭和62年)に再建されたものである。
創建から1300年以上の時を経ている古社であり、大将軍社や若宮社を含めると総勢32柱の神々が鎮座している神社である。
電話番号
06-6322-9929
ご祭神/ご本尊
【本殿】 宇賀御魂神・受保大神・大市比賣神 (主祭神の三柱)
【相殿】 菅原道真公・天児屋根神・経津主神・武甕槌神・姫大神
天照皇大神・事代主神・応神天皇・速素盞鳴神・大名牟遅神
少彦名神・猿田彦神
編集前:宇賀御魂神・受保大神・大市比賣神
アクセス
新大阪駅より徒歩約10分
JR東海道本線「新大阪」駅 東口より徒歩5分
阪急京都線「崇禅寺」駅下車 徒歩8分
編集前:新大阪駅より徒歩約10分
参拝時間
24時間参拝可能
駐車場
あり
10台程度駐車可能
トイレ
本殿手前にある駐車場の右側
参拝所要時間
約10分
参拝料
なし
創立
651年(白雉2年)
本殿/本堂の建築様式
切妻造
Wikipedia
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