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2025年07月21日(月) 11時55分 bysoo_cyan

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宗派
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和宗総本山四天王寺境内御堂
名前
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四天王寺 阿弥陀堂
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四天王寺阿弥陀堂(念仏堂)
ふりがな
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してんのうじ あみだどう
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してんのうじあみだどう(ねんぶつどう)
郵便番号
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543-0051
ご由緒
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 四天王寺が創建されたのは、今から1400余年前の推古元年(593年)。聖徳太子が鎮護国家と衆生救済のため、仏教の守護神である四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)を安置し建てたと伝えられる。南から北に向かって中門、五重塔、金堂、講堂といった主要な堂宇が一直線上に並び、それを回廊が囲む建築様式を「四天王寺式伽藍(がらん)」といい、日本で最も古い伽藍配置様式である。太子の遺業は、創建の際に四箇院を設置したことがあげられる。四箇院とは、仏教を基とした全人教育を行う事業である「敬田院」、今日でいう社会福祉事業にあたる「悲田院」、現在の四天王寺病院をはじめとした医療部門の「施薬院」「療病院」である。
 平安時代後期になりますと「四天王寺縁起」に四天王寺の五重塔と金堂は極楽の東門に当たると書かれていたことから四天王寺に詣でれば衆生は救済され、その西門から極楽浄土へ渡れる、という信仰が起き、日想観(沈む夕陽をみて西方にある阿弥陀仏の浄土を瞑想し、臨終の際に極楽往生の助けとする修行)の聖地となった。
 法然上人は文治元年(1185)51歳の時に、慈円僧正の招きでここに参詣し往時を慕われお念仏を唱えて日想観を修せられた。又、高野の明遍僧都が夢に四天王寺の西門のあたりで、病人に粥を施している聖のあるのをみて、それが法然上人であることを知ってめざめ、その後、専修念仏の門に入られたと伝えられている。記録によると元和三年(1617)に鳥羽法皇が立てた御誓願のもと「短声堂」「引声堂」として再建されたことが記されており、これが昭和20年の戦災で焼失するまで西門にあった。平安時代以降、念仏三昧院、念仏堂と呼称された堂宇が短声、引声と名を変えて再建されたのである。現在、念仏堂は無く、阿弥陀堂を札所に定めている。
                          -法然上人二十五霊場HPより-
電話番号
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06-6771-0066(四天王寺)
ご祭神/ご本尊
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阿弥陀如来
アクセス
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JR大阪環状線「天王寺」駅徒歩12分
OsakaMetro御堂筋線・谷町線「天王寺」駅徒歩12分、谷町線「四天王寺夕陽ヶ丘」駅徒歩5分
近鉄南大阪線「阿倍野橋」駅徒歩14分
駐車場
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南大門隣接有料駐車場(34台)あり。
山号
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荒陵山
巡礼
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圓光大師二十五霊場第6番