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だいじょうぼう|高野山真言宗崑崙山

大乗坊の編集履歴
2023年11月03日(金)
大阪府 難波(南海)駅

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novc
2023年11月03日 16時48分

緯度

34.662478843132796

編集前:34.6624634

経度

135.50519522023777

編集前:135.5052435

通称

日本橋毘沙門天

ご由緒

もと天王寺牛が崎にあった崑崙山宝満寺の子院で、新坊と称したが、天文(1532年 - 1555年)・天正(1573年 - 1592年)の頃、再三の戦火を罹り、秀言律師が本尊を奉じて各地に流寓し、本坊は廃絶となり、難波の地に大乗坊のみ再建された。
文禄(1592年 -1596年)の頃、宝及律師が船場の豪商灰屋善兵衛の別荘を寺とし、現在地に移転。
万延年間(1860年 - 1861年)には堂島の米問屋二川家の寄進により寺勢大いにあがり、長町の毘沙門堂と親しまれる[1]。
昭和20年(1945年)の空襲で堂宇は全焼。

編集前:もと天王寺牛が崎にあった崑崙山宝満寺の子院で、新坊と称したが、天文(1532年 - 1555年)・天正(1573年 - 1592年)の頃、再三の戦火を罹り、秀言律師が本尊を奉じて各地に流寓し、本坊は廃絶となり、難波の地に大乗坊のみ再建された。
文禄(1592年 -1596年)の頃、宝及律師が船場の豪商灰屋善兵衛の別荘を寺とし、現在地に移転。
万延年間(1860年 - 1861年)には堂島の米問屋二川家の寄進により寺勢大いにあがり、長町の毘沙門堂と親しまれる[1]。
昭和20年(1945年)の空襲で堂宇は全焼。

ご祭神/ご本尊

《ご本尊》毘沙門天 (重文)
吉祥天
善膩子童子
大黒天
弁財天
不動明王
弘法大師
一願空鉢大龍王
稲荷

編集前:毘沙門天 (重文)

アクセス

南海電車 なんば駅 徒歩8分
Osaka Metro 御堂筋線・四つ橋線・千日前線 なんば駅 徒歩10分
Osaka Metro 堺筋線・千日前線 日本橋駅 徒歩8分

編集前:地下鉄御堂筋線・四つ橋線・千日前線【なんば駅】徒歩10分
地下鉄堺筋線・千日前線【日本橋駅】徒歩8分

トイレ

なし

参拝所要時間

約15分

参拝料

なし

創立

1592年 - 1596年(文禄年間)

創始者/開山・開基

秀言律師

巡礼

摂津国八十八箇所第29番札所
大阪七福神・毘沙門天

編集前:摂津国八十八箇所第29番札所
大阪七福神・毘沙門天

行事

初詣(正月元旦)
星祭り祈願会(2月節分)
春季御開帳法要(5月第二日曜日)
秋季御開帳法要(11月第二日曜日)
大般若経祈願会(毎月1日)

編集前:初詣(正月元旦)
星祭り祈願会(2月節分)
春季御開帳法要(5月第二日曜日)
春季御開帳法要(11月第二日曜日)
大般若経祈願会(毎月1日)

文化財

木造毘沙門天立像(重要文化財)
耐火収蔵庫型厨子(大阪市指定有形文化財)

編集前:木造毘沙門天立像(重要文化財)

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