だいじょうぼう|高野山真言宗|崑崙山
大乗坊の編集履歴
緯度
34.662478843132796
編集前:34.6624634
経度
135.50519522023777
編集前:135.5052435
通称
日本橋毘沙門天
ご由緒
もと天王寺牛が崎にあった崑崙山宝満寺の子院で、新坊と称したが、天文(1532年 - 1555年)・天正(1573年 - 1592年)の頃、再三の戦火を罹り、秀言律師が本尊を奉じて各地に流寓し、本坊は廃絶となり、難波の地に大乗坊のみ再建された。
文禄(1592年 -1596年)の頃、宝及律師が船場の豪商灰屋善兵衛の別荘を寺とし、現在地に移転。
万延年間(1860年 - 1861年)には堂島の米問屋二川家の寄進により寺勢大いにあがり、長町の毘沙門堂と親しまれる[1]。
昭和20年(1945年)の空襲で堂宇は全焼。
編集前:もと天王寺牛が崎にあった崑崙山宝満寺の子院で、新坊と称したが、天文(1532年 - 1555年)・天正(1573年 - 1592年)の頃、再三の戦火を罹り、秀言律師が本尊を奉じて各地に流寓し、本坊は廃絶となり、難波の地に大乗坊のみ再建された。
文禄(1592年 -1596年)の頃、宝及律師が船場の豪商灰屋善兵衛の別荘を寺とし、現在地に移転。
万延年間(1860年 - 1861年)には堂島の米問屋二川家の寄進により寺勢大いにあがり、長町の毘沙門堂と親しまれる[1]。
昭和20年(1945年)の空襲で堂宇は全焼。
ご祭神/ご本尊
《ご本尊》毘沙門天 (重文)
吉祥天
善膩子童子
大黒天
弁財天
不動明王
弘法大師
一願空鉢大龍王
稲荷
編集前:毘沙門天 (重文)
アクセス
南海電車 なんば駅 徒歩8分
Osaka Metro 御堂筋線・四つ橋線・千日前線 なんば駅 徒歩10分
Osaka Metro 堺筋線・千日前線 日本橋駅 徒歩8分
編集前:地下鉄御堂筋線・四つ橋線・千日前線【なんば駅】徒歩10分
地下鉄堺筋線・千日前線【日本橋駅】徒歩8分
トイレ
なし
参拝所要時間
約15分
参拝料
なし
創立
1592年 - 1596年(文禄年間)
創始者/開山・開基
秀言律師
巡礼
摂津国八十八箇所第29番札所
大阪七福神・毘沙門天
編集前:摂津国八十八箇所第29番札所
大阪七福神・毘沙門天
行事
初詣(正月元旦)
星祭り祈願会(2月節分)
春季御開帳法要(5月第二日曜日)
秋季御開帳法要(11月第二日曜日)
大般若経祈願会(毎月1日)
編集前:初詣(正月元旦)
星祭り祈願会(2月節分)
春季御開帳法要(5月第二日曜日)
春季御開帳法要(11月第二日曜日)
大般若経祈願会(毎月1日)
文化財
木造毘沙門天立像(重要文化財)
耐火収蔵庫型厨子(大阪市指定有形文化財)
編集前:木造毘沙門天立像(重要文化財)