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2025年02月07日(金) 01時36分 bysoo_cyan
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当山の縁起は弘法大師が高野山に道場を開かれるに当たり、たびたび浪速の地を通行され、ある時、土地の古老から「江北野」に毎朝光り輝き紫雲たなびく処ありと聞かれ、「これ秘密相応の地なり」と秘法を修され、浪速の繁栄と福恵を祈って天長2年(825年)「如意珠院」の草庵を建てられたのが当山の開基である。その後大和・室生寺の堅恵大徳が当院に入られ、寺号を「寶珠院(ほうしゅいん)」と改めた。 貞観年中(859~876年)菅原道真は、弘法大師の聖跡である当院を深く追慕し、また当時の住職恵澄法印とは御学友の間柄であった。大宰府に左遷の折にも、道明寺への道筋、当山に立ち寄られ、持念仏の十一面観世音菩薩尊像や写経他納められた。延長2年(924)、当山の恵岳上人に菅公の霊告「大般若を転読して我が鬱を慰めよ。もし疑いあらば庭前の松樹にその証を残さん」とあり、上人が夢より醒めて樹間を見ると、小物に包んだ「渡唐天神」の尊像があった。直ちに衆僧を引具して般若の妙典を読誦し、境内に菅公殿を建て、その尊像を安置した。この時、現天満天神社も造営になった。それ以後、毎年5月25日、大般若転読法要を厳修し、連綿と今日も続いている。 後小松天皇の御代、応永3年(1396年)当山の霊験が天朝に達し、大和・摂津の2郡寺領の宣下あり、『菅原山 天満宮寺』の勅号を賜った。 安土桃山時代、当山の住職であった大村由己梅庵は、太閤秀吉公のお伽衆の一人であり、祐筆の一人でもあった。「天正紀」の著者としても知られ、歌舞伎の元祖といわれる出雲の阿国を世に出した人ともいわれている。当時の寳珠院は現在地より東、大川に面した位置にあり、古地図には当院の堂塔伽藍が天満山、七夕池を含む広大な寺域として描かれている。徳川家に天下が代わって現在の地に移されてからも、近在にその比を見ずと称えられた伽藍であったが、昭和20年(1945年)戦火のため、土蔵だけを残し灰燼に帰した。昭和42年(1967年)本堂庫裏が再建し、今日に至っている。
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大日如来
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菅原山天満寺
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ほうじゅ
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825年(天長2年)
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弘法大師
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木造十一面観世音菩薩立像 木造弥勒菩薩立像 木造地蔵菩薩立像 (いずれも大阪市指定有形文化財)
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