つゆのてんじんじゃ(おはつてんじん)
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露天神社(お初天神)の編集履歴
2021年01月20日 22時39分
ご由緒
社伝によれば、創建は壱千百有余年を遡り、文徳天皇の御代、嘉祥三年(850)に定め給いて「難波八十島祭」の旧蹟にも数えられ、「住吉住地曽称神」を祀ると伝えられている。往地此の地は曽根洲と称する孤島にて、曽根洲、後の曽根崎の地名はこの御神名より起こる。
平安期、渡辺十郎源契来たりて入植せしより、渡辺氏一族を始め移植の民次第に増し、曽根崎村へと発展し、当社も産土神「曽根崎天神」として尊崇された。現在も梅田、曽根崎地区の鎮守として信仰を集めている。
昌泰四年(901)菅原道真公筑紫に左遷配流の途次、当地を過ぎ給う砌、境内の草木露深ければ「露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを 想い出づれば」と詠ぜられ、菅公太宰府にて御他界の後、その遺徳を偲び賜り合祀し、御歌より「露ノ天神社」と称する。(社名の由来その他諸説有り)
元禄十六年四月七日堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町醤油屋平野屋の手代「徳兵衛」、当社の「天神の森」にて憤死し、日を置かず時の戯曲作家「近松門左衛門」により「曽根崎心中」として激化された。
以後上演の度、男女身分の差無く多数の民衆感激し、挙って当社に参詣慰霊に訪れたと云う。「お初天神」と通称される所以である。
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