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ふくながいなりだいみょうじん

福永稲荷大明神の編集履歴
2023年10月01日(日)
大阪府 北新地駅

novcさんのプロフィール画像
novc
2023年10月01日 09時01分

郵便番号

530-0001

ご由緒

当地には古くから小さな丘があり、野狐が栖としていたので、元禄時代には人々から狐塚と呼ばれていた。平安時代末期の保延年間に、源融公の十代目に当る渡辺伊豆三郎が当地を開拓して新邸を建てたが、南北朝時代の応安年間に十八代目の渡辺十郎が稲荷の祠を祀り、一家の守護神としたのが当社の創始である。当ビルの敷地を東西に貫いていた曽根崎商店街通を稲荷山通と称したのはこのためである。
明治初年には郷社露天神(当社の東方五百米。通称お初天神)の一座となったが、明治四十二年の大阪北の大火で付近一帯が焼失し、この祠だけが不思議にも焼け残ったので、当時の人々は焼けずの稲荷と呼んで畏敬した。更に三十七代目の渡辺義平の妻麻門は、渡辺家が代々崇敬してきた天満宮の祠をも建てて神域を整備したが、昭和二十年三月十四日の空襲により罹災した。
この由緒ある神祠の復興を思い立った当地の中谷栄五郎氏らは、とりあえず旧地に小祠を再建し今日までお祀りしてきたが大阪駅前市街地改造事業施行により、移転を余儀なくされたので地元有志が相集まり、旧地上に建築された大阪駅前第一ビルの屋上を新しい神域と定め末長く地区の繁栄と守護を祈願することとした。

編集前:当地には古くから小さな丘があり、野狐が栖としていたので、元禄時代には人々から狐塚と呼ばれていた。平安時代末期の保延年間に、源融公の十代目に当る渡辺伊豆三郎が当地を開拓して新邸を建てたが、南北朝時代の応安年間に十八代目の渡辺十郎が稲荷の祠を祀り、一家の守護神としたのが当社の創始である。当ビルの敷地を東西に貫いていた曽根崎商店街通を稲荷山通と称したのはこのためである。
明治初年には郷社露天神(当社の東方五百米。通称お初天神)の一座となったが、明治四十二年の大阪北の大火で付近一帯が焼失し、この祠だけが不思議にも焼け残ったので、当時の人々は焼けずの稲荷と呼んで畏敬した。更に三十七代目の渡辺義平の妻麻門は、渡辺家が代々崇敬してきた天満宮の祠をも建てて神域を整備したが、昭和二十年三月十四日の空襲により罹災した。
この由緒ある神祠の復興を思い立った当地の中谷栄五郎氏らは、とりあえず旧地に小祠を再建し今日までお祀りしてきたが大阪駅前市街地改造事業施行により、移転を余儀なくされたので地元有志が相集まり、旧地上に建築された大阪駅前第一ビルの屋上を新しい神域と定め末長く地区の繁栄と守護を祈願することとした。

URL

https://www.1bld.com/history/daimyojin.html

アクセス

大阪市営地下鉄御堂筋線「梅田駅」より徒歩約5分
大阪市営地下鉄谷町線「東梅田駅」より徒歩約5分
大阪市営地下鉄四ツ橋線「西梅田駅」より徒歩約1分
JR東西線「北新地駅」より徒歩約1分
JR各線「大阪駅」より徒歩約4分
阪神各線「梅田駅」より徒歩約3分
阪急各線「梅田駅」より徒歩約8分

トイレ

ビルのトイレを使用

参拝所要時間

5分

参拝料

無料

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