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釋尊寺ではいただけません
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釋尊寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月21日(土)
参拝:2023年1月吉日
奈良県・大阪府寺巡りの7寺目は、6寺目と同じく大阪府枚方市に在る霊鷲山 釈尊寺です。今回の寺巡りの最後となります。
浄土宗で、本尊は釈迦如来。
この本尊・釈迦如来立像は府指定文化財です。
基本、ご住職がいらっしゃれば拝観可能のため予約は不要ですが、念のために予約してから伺いました。
伝えによれば、天平年間(729~748年)に行基の開基で、行基寺と称した。平安時代中期には七堂伽藍・12坊を擁する寺院で、寺号を釈尊寺に改め、後一条天皇より「霊鷲山」の勅額を賜ったと伝わります。その後、兵火に遭い、次第に衰退したとの事です。
カーナビの道案内通りに住宅地内の細い道を進むと寺号柱の前に着きましたが、石段であり当然車では行けません。寺院の周りと思われる住宅地をゆっくり進むと寺院の裏側に出て(本堂の真裏)、3台位停めれる駐車場がありましたので停めさせて頂きました。
本堂の脇を抜ければ境内に入れましたが、いつも通りに山門から。山門をくぐると正面に本堂、右手前に庫裏です。左側は墓地です。昔は広い境内地だったのでしょうが、現在寺の周りは(新興)住宅地となっています。
本堂近くに行くと話し声が。拝観されている方がいらっしゃいました。丁度、ご住職が出てこられたので、予約した者ですと伝えると本堂に入ってくれと。早速入らせて頂きました。
須弥壇真ん中に本尊・釈迦如来立像、本尊の両脇には十大弟子像。(興福寺、大報恩寺の十大弟子像が有名)釈迦如来立像は、いわゆる清涼寺式釈迦如来像。高さ約167cm、鎌倉時代初期の作、やや下膨れのお顔です。
右側の脇間には普賢菩薩と天部像、左側の脇間には普賢菩薩と対をなす文殊菩薩と天部像です。室町時代~江戸時代の作でしょうか。
最後に御朱印を頂戴して、帰路に着きました。
浄土宗で、本尊は釈迦如来。
この本尊・釈迦如来立像は府指定文化財です。
基本、ご住職がいらっしゃれば拝観可能のため予約は不要ですが、念のために予約してから伺いました。
伝えによれば、天平年間(729~748年)に行基の開基で、行基寺と称した。平安時代中期には七堂伽藍・12坊を擁する寺院で、寺号を釈尊寺に改め、後一条天皇より「霊鷲山」の勅額を賜ったと伝わります。その後、兵火に遭い、次第に衰退したとの事です。
カーナビの道案内通りに住宅地内の細い道を進むと寺号柱の前に着きましたが、石段であり当然車では行けません。寺院の周りと思われる住宅地をゆっくり進むと寺院の裏側に出て(本堂の真裏)、3台位停めれる駐車場がありましたので停めさせて頂きました。
本堂の脇を抜ければ境内に入れましたが、いつも通りに山門から。山門をくぐると正面に本堂、右手前に庫裏です。左側は墓地です。昔は広い境内地だったのでしょうが、現在寺の周りは(新興)住宅地となっています。
本堂近くに行くと話し声が。拝観されている方がいらっしゃいました。丁度、ご住職が出てこられたので、予約した者ですと伝えると本堂に入ってくれと。早速入らせて頂きました。
須弥壇真ん中に本尊・釈迦如来立像、本尊の両脇には十大弟子像。(興福寺、大報恩寺の十大弟子像が有名)釈迦如来立像は、いわゆる清涼寺式釈迦如来像。高さ約167cm、鎌倉時代初期の作、やや下膨れのお顔です。
右側の脇間には普賢菩薩と天部像、左側の脇間には普賢菩薩と対をなす文殊菩薩と天部像です。室町時代~江戸時代の作でしょうか。
最後に御朱印を頂戴して、帰路に着きました。
すてき
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nomuten980投稿
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