だいせいしょうぐんじ|高野山真言宗|神妙椋樹山
大聖勝軍寺の編集履歴
ご由緒
587年、崇仏派の聖徳太子が排仏派の物部守屋との戦いで「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」(日本書紀)と祈願して戦勝したことから、戦後間もなく四天王を祭るための寺院として摂津国難波(大阪市天王寺区)の四天王寺とともに、当寺の太子堂が建立された。
594年、推古天皇より現在の山号と寺号が贈られ、この年が創建年とされる。
756年、聖武上皇から鎮護国家寺の称号を贈られ、勅願寺に定められる。
編集前:587年、崇仏派の聖徳太子が排仏派の物部守屋との戦いで「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」(日本書紀)と祈願して戦勝したことから、戦後間もなく四天王を祭るための寺院として摂津国難波(大阪市天王寺区)の四天王寺とともに、当寺の太子堂が建立された。
594年、推古天皇より現在の山号と寺号が贈られ、この年が創建年とされる。
756年、聖武上皇から鎮護国家寺の称号を贈られ、勅願寺に定められる。
創始者/開山・開基
聖徳太子
巡礼
河内西国三十三観音霊場 第一番札所 御詠歌 あらたうと 心はここに 椋の木と 誓いて尽くす 植え髪の尊
聖徳太子御遺跡二十八ヶ所霊場 第二番札所(植髪太子)
河内飛鳥十五古寺霊場 第三番札所(聖徳太子)
河内飛鳥七福神(毘沙門天)
編集前:河内西国霊場第1番
聖徳太子霊跡第2番
河内飛鳥古寺霊場第3番
河内飛鳥七福神(毘沙門天)
文化財
二臂如意輪観音思惟半跏像及び同胎内仏金銅菩薩思惟半跏像ほか(府指定文化財)
絹本著色聖徳太子絵伝ほか(市指定文化財)
編集前:二臂如意輪観音思惟半跏像及び同胎内仏金銅菩薩思惟半跏像ほか(府指定文化財)
絹本著色聖徳太子絵伝ほか(市指定文化財)