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よなみぞうじんじゃ

世並蔵神社の御由緒・歴史
鹿児島県 儀保駅

ご由緒

御祭神世並蔵は、琉球北山の一族世之主加那志が沖永良部島の領主として応永二年渡海の際従って来れる方であり、その子孫を併せて世並蔵と称える。世之主加那志は琉球において中山・南山・北山の三山が統一された応永二十三年頃自決したと伝えられ、墓は和泊町大字内城にあり、純琉球式の掘込式方形納骨堂で、県の史跡に指定されている。
琉球が、尚氏以前中山、南山、北山の三王鼎立し覇を競った頃、世並蔵は北山王の二男世之主加那志に従い渡海され(足利四代将軍義持の頃)、徳時の東に居を構え、農耕を興した他、病気薬治、分娩、学問その他住民の幸福を計り、その勢威は徳時以西の全域に及んだ。時は移り、北山王滅亡の後も、子々孫々住民の指導、民生の安定に努めるために住民はよくその徳に靡き、後世世之主の世を取り、穀物その他の財を納める地蔵の蔵を考え、世々に伝えて世並御蔵加那志と称し、屋敷跡に祠を建て産土神として祀るに至った(沖永良部島沿革誌には、明治四年四並蔵廃寺跡に神社を建立したとある)。
産業の神、安産の神、武神として崇められ、旧正月二十日、八月二十日の大祭は、「二十日正月」と呼ばれるほどの島内一の賑わいをみせ盛大を極めた。
字名の徳時とくどきは「とどろき」の約音で、当地と大津勘の中間を流れる河川は島有数の大河で、傾斜面を急流が通過する際、ゴーゴーと水音が鳴り響き轟きたったことに由来するという。

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