たかたじんじゃ
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| 名称 | 高田神社 |
|---|---|
| 読み方 | たかたじんじゃ |
| 通称 | 高田神社 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 社務所横 |
| 御朱印 | あり 基本は月次祭のある朔日に社務所にて禰宜様が対応。
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| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | あり |
詳細情報
| ご祭神 | 《合》天照皇大神,豊受比売神,《主》伊弉諾命,伊弉冊命,速玉之男命,事解之男命 |
|---|---|
| ご由緒 | 当社は久寿2年(1155)紀州熊野から勧請し、熊野大権現と称した。往古は社領300石あり、江戸時代までは熊野宮として地域住民に崇拝されて来た。明徳・応永(1390~1394)の間、前城主の三浦下野守が高田に居城し、13世、200年間の祈願所となった。応永5年(1398)には高田城主三浦貞宗によって社殿が再建された。落城後、毛利輝元が領し、楢崎弾圧忠元兼をつかわし、天正11年(1583)に造営を加えた。慶長年中は森忠政会が本州を領し、長距の大塚主膳が修繕を加えた。近くは三浦瀞主が明和年中入国以来、産土神として尊敬し、その祈願所であった。また、三浦東久が痘瘡を患い、命が危なくなったとき、父三浦貞国は熊野宮をを頼んで祈祷し、危機を脱することができ百石の所領を寄進した。寛文11年(1671)現在の本殿が建てられた。明和元年(1764)入部以後、勝山藩主三浦氏もまた領内の守護神として熊野宮を崇拝した。旱魃、凶作、疫病流行のときは熊野宮に祈祷を命じた。
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