さいじょういなりさんみょうきょうじ|日蓮宗|最上稲荷山
最上稲荷山妙教寺の編集履歴
通称
最上稲荷、高松稲荷
郵便番号
701-1331
ご由緒
最上稲荷の歴史は、今から1200余年前にさかのぼります。 天平勝宝4年(752)、報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、龍王山中腹の八畳岩で祈願を行いました。すると白狐に乗った最上位経王大菩薩が八畳岩に降臨。大師はその尊影を刻み祈願を続け、無事天皇は快癒されたといいます。その後延暦4年(785)、桓武天皇ご病気の際にも、大師の祈願により快癒。これを喜ばれた天皇の命により、現在の地に「龍王山神宮寺」が建立されました。
以来、「龍王山神宮寺」として繁栄を極めたものの、備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」のお像のみが八畳岩の下に移され難を免れました。このお像をもとに慶長6年(1601)、新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招き、霊跡を復興。寺名も「稲荷山妙教寺」と改めて、今日の興隆の礎を築きました。
編集前: 最上稲荷の歴史は、今から1200余年前にさかのぼります。 天平勝宝4年(752)、報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、龍王山中腹の八畳岩で祈願を行いました。すると白狐に乗った最上位経王大菩薩が八畳岩に降臨。大師はその尊影を刻み祈願を続け、無事天皇は快癒されたといいます。その後延暦4年(785)、桓武天皇ご病気の際にも、大師の祈願により快癒。これを喜ばれた天皇の命により、現在の地に「龍王山神宮寺」が建立されました。
以来、「龍王山神宮寺」として繁栄を極めたものの、備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」のお像のみが八畳岩の下に移され難を免れました。このお像をもとに慶長6年(1601)、新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招き、霊跡を復興。寺名も「稲荷山妙教寺」と改めて、今日の興隆の礎を築きました。
ご祭神/ご本尊
《根本大堂》
久遠実成本師釈迦牟尼仏
《霊光殿》
最上位経王大菩薩
編集前:最上位経王大菩薩
参拝時間
授与所:08:30〜16:30
駐車場
あり
トイレ
あり
参拝所要時間
約30分
参拝料
なし
山号
最上稲荷山
本殿/本堂の建築様式
流造
巡礼
三大稲荷
行事
1月1〜15日 新春開運大祈願祭
2月1日(朝勤時) 中興日円聖人会
節分の日 節分豆まき式
節分後の最初の 午の日 初午祭
3月彼岸入りの日 春季彼岸会
4月3〜23日 大荒行・女子部
4月8日 花まつり
5月第3木曜日 清正公祭
5月中旬 鑽仰茶会
6月第2日曜日 妙見祭
6月28日 開山報恩大師会
7月7日 七夕祭り
7月第3日曜日 夏季大祭
8月13〜15日 盂蘭盆会
9月15日 最上位経王大菩薩年次祭
彼岸中日 秋季彼岸会
10月1日 印塚祭
10月16日 御会式
10月17日 比島観音年次慰霊祭
11月 七五三祭り
3〜23日 大荒行・男子の部
30日〜12月7日 お火たき大祭
12月29日 終年感謝祭
編集前:1月1〜15日 新春開運大祈願祭
2月1日(朝勤時) 中興日円聖人会
節分の日 節分豆まき式
節分後の最初の 午の日 初午祭
3月彼岸入りの日 春季彼岸会
4月3〜23日 大荒行・女子部
4月8日 花まつり
5月第3木曜日 清正公祭
5月中旬 鑽仰茶会
6月第2日曜日 妙見祭
6月28日 開山報恩大師会
7月7日 七夕祭り
7月第3日曜日 夏季大祭
8月13〜15日 盂蘭盆会
9月15日 最上位経王大菩薩年次祭
彼岸中日 秋季彼岸会
10月1日 印塚祭
10月16日 御会式
10月17日 比島観音年次慰霊祭
11月 七五三祭り
3〜23日 大荒行・男子の部
30日〜12月7日 お火たき大祭
12月29日 終年感謝祭
文化財
旧本殿・霊応殿 市指定重要文化財
妙教寺本堂 登録有形文化財
編集前:旧本殿・霊応殿 市指定重要文化財
妙教寺本堂 登録有形文化財
Wikipedia
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