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おきたじんじゃ

沖田神社のお参りの記録一覧
岡山県 大多羅駅

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きどっち
きどっち
2025年09月13日(土)1515投稿

岡山市を流れる百間川沿いに鎮座する沖田神社にあがらせていただきました。
岡山で昼から用事があったので、朝早く自宅を出発し9時前に到着。
社務所が開く直前でしたがご近所の方でしょうか、ちらほらとお参りされている方もいらっしゃいました。

<御祭神>
 天照大御神 素戔嗚尊 軻遇槌命 
 倉稲魂命 句句廼智神 おきた姫

<御由緒>~岡山県神社庁より~
当社は備前国藩主池田綱政の時代に新しく開拓された沖新田の産土神として建立された。
沖新田の開墾は、岡山藩の藩政確立に大きな役割を果たした津田永忠が、綱政の命を受けて元禄5年(1692)年の正月11日に着工した。
その工事は迅速に進められ、驚くべき短期間で潮留め築堤・疎水・検地を終え、約2,000町歩の広大な新田が開かれた。元禄7年(1694)4月、沖新田全体の産土神として社を建立するため、京都の吉田殿(当時の神祇官)に見垣近江守を派遣し神の来臨を請願、同年5月23日に沖田神社の神宣が下された。
当初は御野郡(現在の岡山市福島)住吉宮に鎮座されていたが、元禄7年9月3日に、旧沖田神社(岡山市沖元宮地在の古宮)へ遷宮した。しかし境内の土地が低いため大風・高潮・洪水の被害を受け、拝殿にまでも水が入り込む事があったので、宝永6年(1709)現在の社地に移転した。
明治の廃藩置県後には郷社となり、大正12年5月25日に、県社に昇格した。

また境内には多くの末社があるのですが、その中でも道通宮という大きな末社が沖田神社本殿の西側に鎮座されています。
沖田神社HPによると、
「今から約400年前の天正10年(1582)6月4日、備中高松城主だった
清水長佐衛門尉宗治の次男長九朗が落城の際、敵のスキを伺って、逃走を試みました。
その途中で、かねてよく信仰する道通宮に、「首尾よく逃れさせ給らば我家末代に至るまで鎮守として奉祀する」
と祈願すると、たちまち霊験顕れ、 一匹の白蛇に守り導かれて、 浅口群西大島御滝山に、無事逃れる事ができたのでした。
以来道通宮を鎮守として祀り、その子孫は山麓に住居を構えて村民となりました。
4代の孫伝兵衛の代になって沖新田に転居し、名主として要職に就いたそうです。」
とのこと。

そのため道通宮に参拝する際のお供えは好物の生卵をお供えするのだとか。
道通宮の拝殿前にはお供え用の生卵が1つ50円で用意されていました。

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くるくるきよせん
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2025年07月20日(日)3171投稿

岡山市中区にある神社です。また中区に戻ってきました。
こちら沖田神社は百間川のすぐそばにあります。
町中の神社としては境内も広く 社殿も立派で 参拝者もとても多いです。
本殿も素晴らしいのですが 境内社が多くて 道通宮と稲荷社は鳥居もしっかりある大きなものです。
この広さで境内社が10を超えるのは珍しいと思いました。
いちばんびっくりしたのは 道通宮では卵を奉納するところ。
こちらでは白蛇を鎮守としてお祀りされているのだそうです。
社務所で聞くところによると 蛇が奉納された卵を食べることがあるとのことです。
次にびっくりしたのは 拝受品の多さです。
写真もあげていますが まるでお店のようです。
岡山旅では 1寺社30分ぐらいのお参りで計画を立てていたのですが どちらも余裕で30分を越えてきます。
それに お話してくださる方が多くて 正直覚えられません。
お参りしてから投稿まで間があいてしまうと 忘れてしまっていることもしばしば。(泣)
またお参りしたい一社になりました。

ネット情報です。
沖田神社は 備前国藩主池田綱政の時代に新しく開拓された沖新田の産土神として建立されました。
元禄7(1694)年4月 沖新田全体の産土神として社を建立するため 京都の吉田殿(当時の神祇官)に見垣近江の守を派遣し神の来臨を請願 同年5月23日に沖田神社の神宣が下されました。
当初は御野群(現在の岡山市福島)住吉宮に鎮座されていましたが 元禄7年9月3日に 旧沖田神社(岡山市沖元宮地在の古宮様)へ遷宮しました。
しかし境内の土地が低いため 大風・高潮・洪水の被害を受け 拝殿にまでも水が入り込む事があったので 宝永6年(1709)現在の沖田神社の地に移転し 現在に至っています。
沖田神社御祭神は
天照大御神(あまてらすおおみかみ)・素戔鳴尊(すさのおのみこと)・軻遇槌命(かぐつちのみこと)・倉稲魂命(うがのみこと)・句句廼智命(くくぬちのみこと)
おきた姫 沖新田の開墾で最後の潮止め工事に際し人柱として一身を捧げたという。神として沖田神社本殿の床下に「縁の下の力持ち」としてられている。

今から約400年前の天正10年(1582)6月4日 備中高松城主だった清水長佐衛門尉宗治の次男長九朗が落城の際 敵のスキを伺って 逃走を試みました。
その途中で かねてよく信仰する道通宮に 「首尾よく逃れさせ給らば我家末代に至るまで鎮守として奉祀する」と祈願すると たちまち霊験顕れ 一匹の白蛇に守り導かれて  浅口群西大島御滝山に 無事逃れる事ができたのでした。
以来道通宮を鎮守として祀り その子孫は山麓に住居を構えて村民となりました。
4代の孫伝兵衛の代になって沖新田に転居し 名主として要職に就いたそうです。
その後 寛政12年(1800)4月12日沖田神社境内へ宮は移され 沖田神社の御末社に加えられました。
道通宮御祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)です。

沖田神社(岡山県)

正面鳥居

沖田神社(岡山県)

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