おかじょうてんまんじんじゃ
岡城天満神社のお参りの記録一覧
《御祭神》
菅原道真公
《鳥居》
岡城の本丸跡に鎮座します。
文禄二年(1593年)、中川秀成公が岡城に入城した際、城内東側にあった天神祠を移転建立。
明治四年(1871年)、廃藩に伴い荒廃が進み、明治四十三年(1910年)、竹田の城下町に遷座。
昭和十一年(1936年)、岡城が国指定史跡に登録されると登城者も増え、昭和三十年 (1955年)、元の本丸跡に遷座されました。
現社殿は、平成二十八年(2016年)に大改修が行われています。
岡城が天正十四年(1586年)、島津三万の大軍の攻撃を退け、難攻不落の天下の三堅城として栄えた事から、「難攻不落」つまり「落ちない」となり受験生が多く参拝に来るようになったとの事。
【御祭神】菅原道真公
昭和十一年(1936年)、岡城が国指定史跡に登録されると登城者も増え、昭和三十年 (1955年)、元の本丸跡に遷座されました。
島津三万の大軍の攻撃を退け、難攻不落の天下の三堅城として栄えた事から、「難攻不落」つまり「落ちない」となり受験生が多く参拝に来るようになったとの事。
現社殿は、平成二十八年(2016年)に大改修が行われています。
拝殿の天井絵図
社殿横
岡城天満神社が鎮座する本丸跡石垣
《三の丸跡の石垣》
岡城は、阿蘇山の火砕流でできた海抜325mの岩山の上に建っています。断崖絶壁の立地はもちろん、「難攻不落」と呼ばれる所以はその石垣の構造にもあります。
《滝廉太郎像の背後に広がる阿蘇・九重連山》
豊薩合戦の舞台となり、瀧廉太郎が少年時代を過ごした岡城。
また、岡城跡からは阿蘇山やくじゅう連山を望むことができ、高石垣は燃える夕焼けや雲一つない青空の下で様々な表情を見せます。
《二の丸跡奥に有る月見櫓跡》
岡城は、1185年に源義経を迎えるために築城されたと伝えられています。南北朝期から戦国期までは志賀氏の支配下にあり、江戸時代には中川氏の居城として重要な役割を果たしました。
《二の丸跡から見た石垣》
難攻不落の堅城と謳われる岡城。その所以は周囲を囲う「断崖絶壁」と、その絶壁上に築かれている「石垣群」であると言えます。
岡城跡碑
岡城跡入り口のモニュメント
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