ちせんじ|曹洞宗|瀧澤山
智泉寺の編集履歴
ご由緒
瀧澤山智泉寺は新潟県十日町市昭和町3丁目に境内を構えている曹洞宗の寺院です。智泉寺の創建は不詳ですが当初は魚沼郡水沢邑に築かれた城の城内に境内を構えていたと伝えられています。
城が落城し城主一族が没落すると庇護者を失い衰微しましたが天正元年(1573)~慶長20年(1615)に現在地に境内を移し雲高玄瑞大和尚が再興、師である价州傳良大和尚を勧請開山とし、自らは2世となりました。その後、寺運が隆盛し末寺3ヵ寺(圓通寺・慈眼寺・水月寺)を有するなど地域にある曹洞宗寺院の中で中心的役割を持ってきました。
智泉寺の山門は江戸時代後期に建てられたと考えられる建物で、切妻、銅板葺き(元茅葺)、一間一戸、桁行1間、梁間2間、総欅、素木の四脚門です。静寂な参道や管理された庭園、華美な装飾がない本堂など全体的に落ち着いていて格式を感じます。智泉寺山門は江戸時代後期の寺院山門建築の遺構として貴重なことから平成6年(1994)に十日町市指定有形文化財に指定されています。本堂は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、桁行12間、正面唐破風向拝付。
札所本尊の十一面千手観世音菩薩像は江戸時代初期の寛文年間(1661~1672年)に高山村出身の瀧澤古右衛門が信濃川の川中から発見したもので、智泉寺7世鳳仙慧麟和尚は霊徳を悟り当寺に勧請したと伝えられています。妻有百三十三番霊場第1番札所(札所本尊:十一面千手観世音菩薩・御詠歌:補陀落や 岸打波は智泉寺の 美佐嶋山に 響瀧津瀬)。山号:瀧澤山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼如来。
創立
1607年(慶長12年)
創始者/開山・開基
雲高玄瑞大和尚(うんこうげんずいだいおしょう)
本殿/本堂の建築様式
入母屋、銅板葺、桁行12間、正面唐破風向拝付
文化財
本門は十日町市の指定有形文化財に指定