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2026年06月15日(月) 15時13分 bymaotaro

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緯度
編集前
37.544453
編集後
37.542073
経度
編集前
138.689871
編集後
138.690514
ご由緒
編集前
 『神亀二年(725)創立、開基は行基、一説には空海とも言われている。今から1250余年前の開創で、当地区内の最古刹である。

 本尊毘沙門天は行基の作であるという。由来多聞天は上杉家代々の護念仏であったが、天正十六年(1588)上杉景勝が佐渡国本間一族征伐の時、暫く当寺を宿舎とされた折、寄進されたものである。

 その以前の当寺は宝塔院と称しておったが、それから多聞寺と改めたものである。その添状は現存している。

本堂左側に天神公の像を安置した天神堂がある。口伝によれば順徳院が佐渡に流遷されてから黒木御所で拝祀されたものとして伝えられるが、この天神公は世俗にいう菅原道真公ではなく、上皇御自身の霊体であるとされている。』
編集後
 『神亀二年(725)創立、開基は行基、一説には空海とも言われている。今から1250余年前の開創で、当地区内の最古刹である。

 本尊毘沙門天は行基の作であるという。由来多聞天は上杉家代々の護念仏であったが、天正十六年(1588)上杉景勝が佐渡国本間一族征伐の時、暫く当寺を宿舎とされた折、寄進されたものである。

 その以前の当寺は宝塔院と称しておったが、それから多聞寺と改めたものである。その添状は現存している。

本堂左側に天神公の像を安置した天神堂がある。口伝によれば順徳院が佐渡に流遷されてから黒木御所で拝祀されたものとして伝えられるが、この天神公は世俗にいう菅原道真公ではなく、上皇御自身の霊体であるとされている。』