じげんじ|真言宗智山派|船岡山
慈眼寺のお参りの記録一覧
新潟出張少し時間があるので小千谷でへぎ蕎麦を食べたいと足をのばしました。
その際に河井継之助と岩村高俊の会見の場であるという慈眼寺さんをお参りしてきました。
仁王門〜観音堂〜本堂と見て周り、御朱印をお願いしました。
住職さんが外に出られているとの事で御朱印が書けないとの事。
もうしわけありませんと丁寧におっしゃっていただき、またきますと答えて慈眼寺を後にしようとしたところに一台の乗用車が。
先ほど応対してくださった方が、副住職戻ってきたのでお預かりできますと。
寺務所から回らず、お参りしてから寺務所にしたからか驚きのタイミングです。
副住職さんにも丁寧な対応をいただき、御朱印をいただけました。
会見の間を見せえいただきたかったのですが、当方の時間が残り少ないのでお願いせずに、へぎ蕎麦を食べに慈眼寺を後にしました。
ニ月十九日 小千谷市、真言宗智山派 船岡山 観音院 慈眼寺様 参拝+戊辰史跡 本堂内、河井継之助・岩村精一郎 会見の間を拝観させていただきました(映画 峠 ラストサムライを以前見たため)。拝観料 1人300円でした(史跡保護などのため、仕方なくしてるとのこと)
雪のため、山門 観音堂など撮影は次回に…
越後新四国ハ十ハヶ所霊場 72番札所
御本尊 聖観世音菩薩
創建 寺伝によると、天武天皇白鳳年間 薩明大徳により国家鎮護の道場として創建されたとのことです。
山門 登録有形文化財
会見の間 小千谷市指定文化財
司馬遼太郎の「峠」など、関係するものも展示されていました。
河井、岩村の会談で、河井の願いが届けば、多くの血が流れなかったのか…北越戦争で多くの犠牲が出てしまったこと…いろいろ考えさせられました。
本堂 冬のお姿
山門 冬のお姿
御朱印
慶応4(1868)年5月2日、長岡藩総督の河井継之助は、長岡藩の嘆願書を持って新政府軍の岩村精一郎との会談に臨みました。その会談を小千谷談判と呼び、ここ慈眼寺の会見の間にて行われました。会見は30分ほどで終了し、やがて北越戦争の火蓋が切られることになります。慈眼寺には、会談の間がほぼ当時のまま残されており、河井継之助と岩村精一郎の肖像画や、北越戦争に纏わる史料など数多く展示されております。見学の際は予約が必要となりますので、ご注意ください。
慈眼寺本堂の外観です。戊辰150年の節目で、街中は大々的に宣伝して活気に溢れています。
河井継之助と岩村精一郎の間で行われた小千谷談判の解説板です。
河井継之助と岩村精一郎の肖像画が飾られています。
小千谷談判の会見の間です。辺りを見て、当時の名残が多く点在しているのを感じました。
慈眼寺に埋葬されている人達の名前が掘られている墓標です。
1938(昭和12)年に、河井継之助と岩村精一郎の甥が出席した戊辰の式典時の集合写真です。ここで和解する予定のところ、どちらがより高い宿に宿泊したかで揉めて、結局和解できなかったエピソードがあるそうです。
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