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観音寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月18日(土)
参拝:2023年3月吉日
奈良県の寺院巡りの4寺目は、3寺目の大和郡山市の南西、生駒郡斑鳩町を挟んだ先の生駒郡三郷町に在る大悲山 観音寺です。
融通念仏宗で、本尊は阿弥陀如来。
こちらの地蔵菩薩立像は重文です。
檀家寺院のため拝観に際しては、三郷町ものづくり振興課に拝観希望日時を連絡して、観音寺さんに了解を取って頂く必要があります。
(有名な観光寺院以外の寺院所蔵の仏像等の拝観を希望する場合は、先ずは寺院所在地の市役所や町役場に連絡をしてその寺院の状況をお聞きする。寺院の連絡先を教えて頂いた場合に寺院へ連絡する際には「✕✕市役所からの紹介で今回連絡させて頂きました。」と話すと割とスムーズに事が運ぶと思います。)
観音寺の創建等わかっておりません。兵火や災害により何度も再建された模様で、現在の本堂は江戸時代の1765年に再建されたものです。
道は細く、くねっている所ばかり。でもカーナビは賢くて、寺院の裏側(北側)の駐車場へ案内してくれました。5台位は停めれますが、3ナンバー車は厳しいかも? 軽四で行って良かった。
山門へは寺院の塀に沿って坂を少し下ります。山門横の通用口で呼び鈴を押して、拝観予約した者ですと伝えるとご住職の奥様に迎えて頂きました。するとご住職が何やら慌てている様子。急遽法事が入ったそうで、バタバタと出て行かれました。(いつ亡くなるかなんてわかりませんから仕方ありません。) 境内は小ぢんまりとしています。檀家寺ですが境内に墓地はありません。墓地は坂をもう少し下った所にあるとの事です。
早速、本堂に上がらせて頂きました。外陣にすべり台とか幼児の遊具が置いてあります。花粉症が酷くて外でお孫さんの相手が出来ないからだそうです。(本堂の外陣は広くて、子供が遊ぶには良いですね。)須弥壇には本尊・阿弥陀如来坐像、再建時に作られたのかそれほど古くはないと思います。本尊は如来なのに観音寺? この地には本堂が建立される随分前から観音菩薩を祀った庵があり、それゆえ観音寺と称する様になったとの事です。
須弥壇の左側の壁に設えた壇の中に、十一面観音立像と地蔵菩薩立像が安置されています。地蔵菩薩立像は、高さ約122cm、衣紋の線はしっかりしていますが浅め、平安時代中期~後期の作と考えられています。この仏像は、松永久秀の死後にこちらへ遷されたものと伝わります。
境内には立野城跡発掘調査の際に空濠の中より発見された室町時代後期の宝筐印塔が置かれています。これは織田信長と松永久秀の信貴山城攻防の中で埋没したものです。また、観音堂の中には十一面観音石造が安置されているそうですが扉が閉まっていて観れませんでした。
御朱印をお願いしましたが、残念ながらご住職がご不在のため対応出来ず。
また機会があれば再訪して、十一面観音石造を拝観、御朱印を受領したいと思います。
融通念仏宗で、本尊は阿弥陀如来。
こちらの地蔵菩薩立像は重文です。
檀家寺院のため拝観に際しては、三郷町ものづくり振興課に拝観希望日時を連絡して、観音寺さんに了解を取って頂く必要があります。
(有名な観光寺院以外の寺院所蔵の仏像等の拝観を希望する場合は、先ずは寺院所在地の市役所や町役場に連絡をしてその寺院の状況をお聞きする。寺院の連絡先を教えて頂いた場合に寺院へ連絡する際には「✕✕市役所からの紹介で今回連絡させて頂きました。」と話すと割とスムーズに事が運ぶと思います。)
観音寺の創建等わかっておりません。兵火や災害により何度も再建された模様で、現在の本堂は江戸時代の1765年に再建されたものです。
道は細く、くねっている所ばかり。でもカーナビは賢くて、寺院の裏側(北側)の駐車場へ案内してくれました。5台位は停めれますが、3ナンバー車は厳しいかも? 軽四で行って良かった。
山門へは寺院の塀に沿って坂を少し下ります。山門横の通用口で呼び鈴を押して、拝観予約した者ですと伝えるとご住職の奥様に迎えて頂きました。するとご住職が何やら慌てている様子。急遽法事が入ったそうで、バタバタと出て行かれました。(いつ亡くなるかなんてわかりませんから仕方ありません。) 境内は小ぢんまりとしています。檀家寺ですが境内に墓地はありません。墓地は坂をもう少し下った所にあるとの事です。
早速、本堂に上がらせて頂きました。外陣にすべり台とか幼児の遊具が置いてあります。花粉症が酷くて外でお孫さんの相手が出来ないからだそうです。(本堂の外陣は広くて、子供が遊ぶには良いですね。)須弥壇には本尊・阿弥陀如来坐像、再建時に作られたのかそれほど古くはないと思います。本尊は如来なのに観音寺? この地には本堂が建立される随分前から観音菩薩を祀った庵があり、それゆえ観音寺と称する様になったとの事です。
須弥壇の左側の壁に設えた壇の中に、十一面観音立像と地蔵菩薩立像が安置されています。地蔵菩薩立像は、高さ約122cm、衣紋の線はしっかりしていますが浅め、平安時代中期~後期の作と考えられています。この仏像は、松永久秀の死後にこちらへ遷されたものと伝わります。
境内には立野城跡発掘調査の際に空濠の中より発見された室町時代後期の宝筐印塔が置かれています。これは織田信長と松永久秀の信貴山城攻防の中で埋没したものです。また、観音堂の中には十一面観音石造が安置されているそうですが扉が閉まっていて観れませんでした。
御朱印をお願いしましたが、残念ながらご住職がご不在のため対応出来ず。
また機会があれば再訪して、十一面観音石造を拝観、御朱印を受領したいと思います。
すてき
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